「お通夜に来ていなかったので、参列しないと思っていました。だから、告別式に来られてびっくりしましたよ。入って来られたときは、なんとなく空気が変わりましたね」(参列した芸能プロ関係者)
6月17日に間質性肺炎のために亡くなった芸能事務所『アルデル・ジロー』社長の我妻忠義さん。同月に行われた葬儀に演歌歌手の川中美幸が参列したことが、ちょっとした話題になっている。
「我妻社長といえば、サンミュージックでのマネージャー時代に松田聖子や酒井法子を育てるなど、敏腕として有名でした。'97年に川中と独立後は、二人三脚で数々のヒット曲を世に送り出しました」(スポーツ紙記者)
'98年にリリースした『二輪草』は100万枚を超える大ヒット。紅白歌合戦も'81年から24回も出場している。
「まさに2人で栄光をつかんできたのですが、昨年3月末で川中さんが事務所から独立したのです。脳梗塞で倒れたお母さんの介護をするためという理由ですが、マネージャーも同時に移籍している。事務所にはほかに2人の若手演歌歌手がいますが、売り上げのほとんどは彼女が稼いできた。そりゃ、死活問題でしょうね」(レコード会社関係者)
当時、川中側は円満退社を強調していたが、実際はそれとはほど遠いという。
「我妻さんは川中さんを必死に引きとめたのですが、彼女はいっさい、耳を貸さなかった。一方的に去られ無念だったと思いますよ。いまだにもめていて、法廷闘争になるというウワサもありますし、遺族の方も怒ってるんじゃないかな。川中さんはどんな思いで参列したんでしょうね」(前出・芸能プロ関係者)
まだ、事務所独立のトラブルは続いているのだろうか?
我妻さんの息子で、プロダクション経営を引き継いだA氏に話をうかがった。
「独立の前の年から川中さんサイドと話し合いを続けて、今年までかかってしまいましたが、合意をしました。法廷闘争? お互いに弁護士を立てて話し合いをしたので、そんなウワサが出たのかもしれませんね。双方とも主張する部分と譲る部分もあり時間はかかりましたが、父も納得して同意したということなので、もうもめていませんよ」
とのことだった。
また川中の所属事務所は、
「A氏のおっしゃるとおりです。こちらからは、何も申し上げることはありません」
と認めている。袂を分かった恩人が急逝する前に、なんとか間に合った和解。きっと天国から、川中の活躍を見守ってくれていることだろう─。