女優でタレントの岡江久美子さん(享年63)が新型コロナウイルスによる肺炎のため、23日に亡くなった。感染していた事実はおろか、昨年末に乳がんが発覚し手術、さらに放射線治療も受けていたことすら公にされていなかったため、その訃報はあまりにも衝撃的だった。
4月3日に発熱し、6日朝に容体が急変。都内の大学病院に緊急入院して陽性が判明した。夫で俳優の大和田獏とLINEで連絡を取り合ったが、生前の岡江さんとのやり取りはこれが最後に。そして17日後、帰らぬ人となった。
「新型コロナウイルスに感染したことを公表しなかったのは“必ず治るから大丈夫。治ってから報告したい”という、岡江さん自身の希望だったそうです。乳がんも初期だったので“大丈夫。もっと大変な方もいるし”と公表せず、放射線治療が終わった2月中旬以降には、仕事にも復帰していたといいます」(スポーツ紙記者)
どんなに多忙でも3食必ず作っていた
1996年からは朝の情報番組『はなまるマーケット』(TBS系)の司会を17年半にわたって務め、トレードマークの笑顔と元気な声で、視聴者を明るい気持ちにさせてくれた岡江さん。
「まだ長女の美帆さんが中学生だったころは、彼女のために毎朝、5時半に起床してお弁当を作り、学校へ送り出していました」(同前)
『はなまる~』時代の岡江さんは仕事帰りに、地元のスーパーへ立ち寄って買い物をする姿もよく目撃されていたという。
「彼女は東京生まれの東京育ちですから、スーパーや地元商店街でも顔なじみが多かった。そのせいか、買い物の途中で会っても飾ることなく、普通の主婦と変わらないような会話をしていましたね。カートにたくさんの食品を入れて、他のお客さんに“あ、岡江さんだ!”と気づかれても、笑顔で“こんにちは〜”と返してくれるような方でした。どんなに忙しくても、朝昼晩の3食を必ず自分で作っていました」(当時を知る近所の主婦)
『はなまる〜』を降板してからは、認知症を患っていた母親の介護と美帆さんの世話に明け暮れていたが、周囲には大変な様子を微塵も見せなかった。
岡江さんの中学時代の後輩は「当時からとてもきれいで明るくて、マドンナ的存在でした」と話す。
「スポーツ万能でテニス部に所属していましたが、それから演劇部へ。昔からすごく負けず嫌いで、頑張り屋でした。試合で負けると誰よりも悔しがって、それでも率先して、みんなを励ましてくれました。彼女を悪く言う人は誰もいなかったし、彼女が誰かの悪口をいうのも聞いたことがなかったですね」(同前)
通夜や葬儀・告別式は未定で、新型コロナが落ち着いてから、お別れの会を実施するという。24日、岡江さんの遺骨が都内の自宅に戻った。夫・獏は中継に訪れたテレビ各社に向け「久美子が帰って参りました。こんな形の帰宅は本当に残念で、悔しくて、悲しいです。みなさまもお気をつけ下さい。それがのこされた家族の願いです」などと語った。彼女を失った辛さと無念さは、まだ当分、消えることはないだろう。
(取材・文/小窪 誠子)