「連れ子という荷物」
たとえば、学校帰りに家に帰りたくなかったときに抱いた思いを次のように表現している。
《帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった》
竹内さんの父は彼女を連れて再婚しており、高校生のときは心の拠り所がなかったように思える。継母のことは《一人の人間として父が必要とした女の人》と表していて、家族での食卓は《晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。殺風景な自分の部屋でため息をつく》ものだった。
子どもを抱えての再婚――大人になった竹内さんが築いた家庭は、自分自身が育った家庭そのものだったのかもしれない。当時の生活については、次のようにも綴っている。
《私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた》
《連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかった》
《その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった》
《私がもっと大人だったら、何でもうまくこなせたかも知れない》
竹内さんにとって2人の子どもは、当時表現したような“荷物”では決してなかっただろう。そして、彼女の父もきっと同じだったはずだ。
40歳という年齢が、彼女の表現した“大人”に入るのかはわからないし、なぜ死を選んだのかという疑問もまた、誰にもわからない。ただ、あの笑顔がもう見られなくなってしまったという事実があり、受け入れるのには、かなりの時間がかかりそうだ……。