『心春ちゃん、まだ行方はわかっていない。きっと大丈夫だ、大丈夫』
この発言で、“心春ちゃんの生死”の未回収派が生まれたわけだが……。前出のドラマライターは呆れながらこう話す。
「当然ですが、心春ちゃんの“遺体”の行方がわかっていないという意味でしょう」
そのあと、東堂の前に“心春ちゃんに会うまで死ねなかった”と妻・亜希が現れる。このことで、さらに先の未回収派が混乱してしまうのだが……。
亜希のズボンの裾が泥で汚れていた
「亜希のズボンの裾が泥で汚れていました。それは小春ちゃんが遺棄されていた場所に訪れていたのではないかと予想できます。その後の会話でも、東堂に“小春ちゃんに会えたのか?”の言葉に涙して、うなづいている。この一連の流れから“遺体に会えた=心春ちゃんはすでに亡くなっている”という理解以外あり得ないと思います」
ネット上にも、このドラマライターと同様の意見が複数あがっていた。
《小春ちゃん生きてると思ってる人多すぎてエッてなる》
《生きてるの?って人多くて震える》
とあるドラマ制作スタッフは、こう話す。
「ここ最近の日本のドラマは、これでもかというほどセリフでしっかり説明して、“誰もが理解できる”ような作り方をしています。セリフだけではなく、主人公が悲しい時は泣く、怒っている時は怒鳴るなど“匂わせ”なしのストレートな表現がほとんど。制作サイドは視聴者には“そこまでしないと伝わらない”と思っているんです。『マイファミリー』の心春ちゃんの件も、制作サイドはかなりわかりやすく作っていると思いましたが……」
ともあれ、ああだこうだ言い合うのが“考察”ドラマの醍醐味。『マイファミリー』が盛り上がったことだけは間違いない。