病気のなか、頭を過った歌

現在もライブで披露すると大盛り上がりの『ヒーロー』
現在もライブで披露すると大盛り上がりの『ヒーロー』
【写真】歌手への道が開けた“モデル”時代の麻倉未稀が綺麗すぎる

 ゆっくり考えている余裕はなかった。番組の企画で見つかった病気である。公表すれば取材も続行される。事実を伏せ、治療に専念する選択肢もあった。が、“あの歌”が麻倉さんの頭を過った。

『ヒーロー HOLDINGOUT FOR A HERO』

 落ちこぼれラグビー部が全国優勝を果たす学園ドラマ『スクール☆ウォーズ』('84年)の主題歌にもなった、自身を代表する大ヒット曲─。

「『ヒーロー』を聴いて“励まされた”“勇気をもらった”と言ってくれる人がたくさんいらっしゃるんです。その曲を歌う私が、病気になった途端に黙って休業してしまうのはおかしいんじゃないかなって思ったんですよね」

 決断に時間はかからなかった。都内の病院から神奈川県藤沢市の自宅への帰途、東海道線の車中で「がんを公表する」と決めた。

 とはいえ、すぐに気持ちまで前向きになれたわけではなかった。もしも放射線治療を受けるとなれば、都内まで毎日通うのは体力的に難しい。医師は、自宅からタクシーで15分以内で行ける病院での治療をすすめた。

 奔走したのは、モデルの仕事をしている姉だった。

「私の後輩に乳がんになった経験を本に書いた人がいて、ピンクリボンの活動にも参加していたので、相談したんです」(美和子さん)

 姉の後輩が紹介してくれた湘南の病院の女性医師が麻倉さんの主治医になる。しかし、安堵と同時に襲ってきたのは恐怖だった。

乳がんはタイプがわからなければ治療に移れなくて、わかるまでに3週間くらいかかったんです。その間は何もできず、もしかしたら歌えなくなるんじゃないかと……。その不安が頭から離れなくて、“神様、私から歌を取らないでください”って、毎日お風呂で泣いていました

 それは“頑張り屋”の麻倉さんの素顔だった。人に弱みを見せず、誰にも甘えず、陰でもがき苦しみながら、求められている“歌手麻倉未稀”であろうとしてきた。そんな直向きだけれども不器用な生き方を、図らずも大病の重圧が揺さぶった。

現在もライブで披露すると大盛り上がりの『ヒーロー』
現在もライブで披露すると大盛り上がりの『ヒーロー』