「母を支えることが、父の活力でした」
財津さんは体調不良のため、'11年のドラマ出演を最後に、仕事のオファーを断っていた。その後、転倒して骨折した妻ミドリさんの介護をしていたが、彼女は'20年に他界する。財津さんのひとり息子は、
「母を支えることが、父の活力でした」
と週刊女性に明かした。財津さんは自分を支え続けたミドリさんへの感謝の思いがある。
財津さんが売れる前のこと。一家はすきま風が吹き、畳の腐った寺の納屋で生活していたことが。ミドリさんは実家から持参した着物をお金に換えて生活を支えた。だからこそ恩返しをしたかった。が、もうできなくなった……。そして財津さんの息子はこんなエピソードも語った。
「母が亡くなってから、ゴルフには必ず母のドライバーを持っていくんです。体格が違うので、クラブのサイズも合わないのですが、ここぞという場面では“ここはママのでいくよ”と使っていました」
財津さんは、孫で俳優の財津優太郎のことも気にかけていた。しかし、優太郎が出演する連ドラの初回放送の前日、静かに息を引き取った。
「もう大丈夫だ」
そんな思いが、財津さんをミドリさんのもとへ向かわせたのかも。天国でも夫婦仲よくしてチョーダイ!