いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外を舞台にしたノンフィクションを中心に、児童書、小説など、幅広く執筆活動を行う。主な著書に『物乞う仏陀』『神の捨てた裸体』『絶対貧困』などのほか、児童書に『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』『幸せとまずしさの教室』、小説に『蛍の森』、責任編集『ノンフィクション新世紀』など。

 鬼畜の所業。人間のすることとは思えない─。

 5歳のわが子をアパートに放置し、7年後に発見された『厚木市幼児餓死白骨化事件』や、嬰児の遺体を天井裏や押し入れに隠した『下田市嬰児連続殺害事件』、そしてまだ記憶に新しい『足立区うさぎ用ケージ監禁虐待死事件』など、相次ぐ子どもの虐待死のニュースを聞くたびに、こう思った人は決して少なくないことでしょう。

 ですが『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』(新潮社)の著者・石井光太さんはこんなふうに語ります。

「あの親たちは鬼畜ではないですね。厚木市幼児餓死事件の理玖くんはエロ本をちぎって紙吹雪にして遊んでくれる父親のSが帰ってくるのを心待ちにしていましたし、うさぎ用ケージで殺された玲空斗くんの写真を見ると、実に楽しそうにしている。殺された子は親を愛していたし、虐待した親もまた、子どもを愛していました。ただ親たちの愛し方が、あまりにも“自分なり”だったんです」

彼は本心から虐待とは思っていない

 厚木市幼児餓死事件でわが子、理玖くんを餓死させたS容疑者に会いに横浜拘置所に足を運んだ石井さんは、「(理玖くんの)身体もふいたし、遊ばせてもやった。2年以上(親として)やることはやったのに、なぜ、殺人と言われるのか!」と言い放つS容疑者の言葉に、呆然とします。

「電気もガスも水道も止められた真っ暗な中、部屋にたまった2トンものゴミに囲まれながら、S容疑者は息子と一緒に2年間も過ごしているんです。彼はその状態を本心から虐待とは思っていない。そんな人間に、“あれは事故だ!”と言われたら、われわれ第三者には返す言葉がない」

 常識的には決して普通とはいえない生活に疑問を抱けないS容疑者。そんな常識からのズレは、かたちを変え、人物を変えて、本書の各事件に登場します。

 そしてこうした常識とのズレから生じた“自分なりの愛し方”、すなわち、夏休みが終わり、あれほど可愛がっていたカブト虫を飽きて放置して死なせてしまう子どものような愛し方しかできない親たち──。

 ここにこそ、続発する児童虐待死事件の根底があるのだと、本書は強く言うのです。

 では、こうした歪んだかたちでしかわが子を愛せない親たちは、いったいどうして生まれてしまったのでしょうか?

「“反社会”でなく、“非社会”の人が増えてきているからだと思います」