代償は大きかった
そして'94年、人気絶頂のときに脱退宣言をする。
「映画や演技に気持ちが向いていったんです。ファンの“辞めないで”という何万もの署名には胸が痛んだけど、夢を追うための決断でした。そのかわり“この先、たとえホームレスになってでもやってやる”くらいの覚悟でしたよ」
だが、代償は大きかった。
「ひとりで全テレビ局に挨拶回りをすると“君とはもう仕事できないよ”と言うプロデューサーもいましたね。費用が1000万円しかない自主製作映画『日本製少年』に出たときは僕が出演者を車で送ったりもした。でも物作りに携わっている実感があったし、評価してもらえたときはひときわうれしかった。自分ひとりじゃ生きていけないんだってことにも気づけました」
着実な活動が実を結び、3〜4年するとテレビ局からも声がかかり、挨拶回りのときに断られたプロデューサーの作品にも呼ばれた。
「いま思えば、僕はアイドルを演じきれなかったんでしょうね。だから25年も続いたSMAPはやはりレジェンド。立場や状況はまったく違うけど、心境はどこかわかる気がする。彼らの決断を周りがとやかく言うのはナンセンス」
最近は映画の監督業にも進出し、かつて人気を二分した諸星和己さんとの共演も。娘にも恵まれ、個人事務所を支える社長でもある。
「一時は拒絶していたけれど最近は当時を懐かしめるようになりましたね。『ガラスの十代』や『荒野のメガロポリス』は、いまステージで歌ってもいい歌だなって、ジーンときますよ」
※出演映画『THE ACTOR』が'17年1月公開予定。東京と大阪にて公開イベントも開催。詳しくはオフィシャルHP http://mikio.co.jp/index.htmlにて