「寒くないですよ、大丈夫」
まだ、コートを手放せない3月上旬の取材。撮影現場に現れたエレファントカシマシの宮本浩次(50)は、いつものモノトーンの“白シャツに黒パンツ&ジャケット姿”だった。
「このあいだ、夜に長時間、仕事で外に立ってなくちゃいけなかったんです。風邪ひいちゃうかなと思ったら、かえって翌日から元気になっちゃって。人間って外気に触れたほうが元気になるんですね。皮膚が強くなるんだと本当に思いました」
その言葉に甘えながら屋外での撮影を続け、インタビューのために室内へと戻る道すがらエレベーターに貼ってあったポスターを眺めながら、
「(いまの撮影で)韓流スターの気分を味わえました(笑)。いや、面白かったです」
気遣いの人に感謝した。
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中学校の同級生である、ボーカルの宮本浩次とギターの石森敏行、ドラムの冨永義之。そして、冨永の高校の同級生であるベースの高緑成治の4人で、’88年3月21日にデビューを飾ったロックバンド、エレファントカシマシ。それから、30年。幾度の危機を乗り越えながらも走り続けてきた彼らを代表し、作詞・作曲も手がける宮本に語ってもらった。
――30年は、長かったですか? それとも、早かった?
「『ファイティングマン』という曲はデビュー以前の33年前の曲で『今宵の月のように』も20年以上前。『俺たちの明日』も10年以上前の曲で、そう考えると長いんですけど、むしろあっという間でしたね。
いま、30周年で過去を振り返る機会が多いんです。いろいろあったなと思います。それなりの時間は経てきているんだなと。でも、友達同士で夢中でやってきたって感じですかね。だから、あっという間」
――学生時代からの友達同士で、でここまで長く続くバンドもあまりないですよね。
「ユニットだと、ゆずは幼稚園からって聞くし、長くやっている人たちはいますよね。確かに、グループで4人となると、そんなに多くない。見ていると、長く続いているバンドというのは、音楽の仲間である以前に友達同士というのが多いみたいで。ぼくらも、そういうことがでかいですね。中学のときの思い出とか景色とか共有していますし。
思い出したのが、石くん(石森)と中学生のときに、夜、ごはんを食べ終わった8時ごろに公園で待ち合わせをして、そこから公衆電話に行って、お互いの彼女の家に電話をかけたりしましたね。いまは、携帯電話やスマホがありますけど、当時は家からで。でも家から彼女のところに電話をかけるのは恥ずかしくて、公衆電話に行っていたんです。一応、彼女には伝えてあるんですけど、お父さんが出ちゃったりするじゃないですか、だから僕が石くんの彼女の家に電話をかけて。それが終わったら、石くんが僕の彼女の家に電話をかける。結構、くだらないんだけど(笑)、そんなこともやっていました。
一歩間違えたら、なれあいになりがちだけど、そこはプロの仕事という一面がある。不思議な緊張感と友達同士という両方がありますね」