落語と音楽漬けだった青春時代
三宅が、自主的に好きなことを始めるのは中学時代のバンドからである。
「ベンチャーズが来たとき、たった4人であのサウンドを作れるっていうことが、感動だったんですね」
やがて区立中学から、明大付属明治高校へと進学し、バスケットボール部に入る。
「バスケ部の中でエレキバンドを作ったんですけど、バスケ部があまりにも走るので(笑)。それで1年でやめて、友達と落語研究会を作った。だから高校2年からは、落語とバンドです」
それがずっと続く。大学時代へと移ろう。明治大学経営学部へ進む。
「高校3年のとき、今の女房と付き合っていまして。恋愛中は、絶対いいところに就職して、彼女と結婚しなきゃまずいからっていう思いで、就職率のいい経営学部を選んだんですよ。そして大学に入ったとたん、別れた。詐欺みたいなものですよね(笑)」
実は、別れてしまった彼女は小学校4年からの同級生であり、三宅説によれば7回別れて、7回付き合ったのちに35歳で結婚することになる。が、これはまた後の話。
「すごく楽しいと思っていた大学生活が、苦しいものになった(笑)。その結果、6人編成のジャズコンボバンドを作り落研にも入って、音楽と落語をやりだしたんです。そのほかに、コミックバンドも作ったんです。そのうち彼女のことも考えないでいられるようになって、新しい彼女もできた」
バンド2つに落研。こうなるともう、授業に出ている余裕はない。ちなみに落語研究会の後輩には、立川志の輔、そしてコント赤信号の渡辺正行がいる。
渡辺は、落研の伝説の先輩、三宅と合宿で初めて出会って、面白さに圧倒されたという。
「僕が落研に入った年に、三宅さんは卒業したんだけど、夏の合宿に三宅さんが来てくれたんです。もう落語も普通のエピソードも、ちょっと雑誌に載せられないような話が面白いんですね(爆笑)。ああ、こういう人がいるんだってファンになった」
三宅自身が大好きだったのは、古今亭志ん朝だという。
「一生懸命、覚えましたね。志ん朝師匠が大好きで、まねしてました。ほんとに色気があって、江戸っ子で、歯切れがよくて、気持ちいい」
色気があって江戸っ子で、歯切れがよくて気持ちいい。現在の三宅裕司の佇まいそのもののようだ。
「卒業が近づいて、就職のことを考えだしたときに、ああ、この音楽と笑いっていいなと。音楽と笑いの両方できることがやりたいと思った。それで親に“喜劇役者を目指したいので、5年間だけメシ食わしてくれ”ってお願いしたんです。そしたら、うちの母親が、こんだけたくさん親戚がいるんだから、ひとりぐらいおまえみたいな馬鹿がいてもいいだろうと」
情をちょっとした荒っぽさに変えて、サクッと笑わせる。それが江戸っ子の粋な気質だろう。