「なんで助けてあげられなかったんやろう。なんで結愛がこんな目に遭わないかんのか。自分たちの無力さに落胆して泣き暮らす毎日です。助けてあげられなくてごめんね」
実父の祖父母が語る
涙を必死にこらえながら心情を明かしてくれたのは、船戸結愛ちゃん(5)のひいおばあちゃん(71)だ。結愛ちゃんの実父の祖母にあたる。
孫(結愛ちゃんの実父)は幼いころ両親が離婚したため、祖父母が引き取って親代わりとして育てた。祖父母から見れば孫は子どものような感覚で、ひ孫の結愛ちゃんは孫のような存在だった。
「どっちが悪いかわからんが、(孫夫婦は)3年前に離婚したんや。でも母親は結愛のことを大事にしていたし、結愛も母親が大好きやった。この子に結愛を預ければ大丈夫と思っていたのに……。離婚で犠牲になるのは子どもや。2度とうちの敷居はまたぐなって怒鳴ってから、最近はめっきり孫は寄りつかんのです」
と、結愛ちゃんの曽祖父(72)は悔しがる。
「結愛の母親が再婚して、実の子どもができたら、やっぱり連れ子やから大切にしてもらえんのじゃないかと心配しとった。まさか本当に犠牲になるなんて……」
曽祖父の嫌な予感が的中してしまった。
警視庁は今月3日、結愛ちゃんの義理の父で無職の船戸雄大容疑者(33)を、傷害の疑いで逮捕した。
逮捕容疑は2月下旬、目黒区内の自宅アパートの室内で、結愛ちゃんの顔面を拳で殴るなど暴行を加え、全治不明の傷害を負わせたもの。
「今月2日、結愛ちゃんが息をしていないことに妻が気づき、船戸容疑者が119番通報した。容疑者はシャワーで水をかけ暴行を加えたと、容疑を認めています。結愛ちゃんの身体にはあざがあり、日ごろから虐待していたと思われます」(全国紙社会部記者)
結愛ちゃんは病院に救急搬送されたが、同日午後6時59分、死亡が確認された。
船戸家は今年1月、東京・目黒区に越してきた。以前の住居は香川県善通寺市。船戸容疑者はすでに、虐待の札つきだった。2016年4月に入社した香川県三豊市の冷凍食品会社に在職中、結愛ちゃんを虐待したとして香川県警に書類送検されていたのだ。
「パソコンのシステム関係を担当し、明るく社交的でみんなに好かれる人でしたね」
と船戸容疑者の人となりを証言するのは元同僚。
長男の誕生で豹変した容疑者
「連れ子がいるのは知っていましたけど、在職中に2度も書類送検されたと報道で知って、信じられない気持ちです」
入社直前に結婚、同年9月には長男が誕生し、一家は4人家族になった。
「本人は“手がかかるけど家事を分担して妻を助けていかないと”とうれしそうに話していました」(前出・元同僚)
ところがである。長男誕生直前、結愛ちゃんの異常な泣き声に驚いた近隣住民が児童相談所(児相)に通報をした。
近隣の燃料店の店主は、
「毎日のように泣き声が聞こえてきてね。怒られて泣いているにしては、よく泣くなとは思っていたけど……」
同年12月には近隣住民の通報から、児相が結愛ちゃんを一時保護した。
「顔から出血し、裸足で外に立たされていたようです。長男が誕生した時期から、船戸容疑者が豹変していった」(前出・全国紙社会部記者)
翌'17年3月には、偶然通りかかった警察官が、外に出されている結愛ちゃんを発見し、再び一時保護。だが同年7月には自宅に戻ることに。
「児相関係者によれば、母親が迎えに来たときには、結愛ちゃんもニコッと笑ったそうですが、父親を見ると怯えた様子を示したそうです。最初に保護された際には“ばあば(曽祖母)のとこに帰りたい”とも話していたと聞いています」(同・社会部記者)
結愛ちゃんは自分なりにSOSを発信していた。それを大人が気づけなかった……。
「結愛を返してほしい」
東京に引っ越して以降、近所の住民も結愛ちゃんの存在に気がついていなかった。
「1月末に、親子3人で引っ越しのあいさつに来たんです。(容疑者は)服装もきっちりしていて、さわやかな人でした。奥さんは赤ちゃんを抱いていて、うつむいて暗い感じでした。娘さんの姿はなく、3人家族だと思っていました」
と近隣の60代女性。香川時代、幼稚園で子どもが同じクラスだった母親が証言した「若くてきれいなお母さん」という母親の姿はすでに失われていた。わが子がやせ細っていく姿を、どういう思いで見ていたのか。近隣の別の60代の女性は、こう指摘する。
「泣き声は聞こえなかった。もう泣く力もなかったんじゃ……。奥さんも“母親”になりきれなかったんだろうね」
香川県から引き継ぎを受けていた品川児童相談所は、2月9日に家庭訪問をしていた。
同児相の所長は、
「児相に嫌な思いをした、などと拒絶的な態度で、結愛ちゃんを確認することはできませんでした。母親と関係を築けるよう対応を検討していくところでした。事件を重く受け止め、対応を検証します」
と話すが、結愛ちゃんの曽祖父は怒りをあらわにする。
「行政がちゃんとしとったら死なんですんどったはずや。寒い思いして痛い思いして、どれだけつらかったか……」
と複雑な胸中を明かす。
曽祖父の携帯電話の待ち受け画面は、サングラスをかけておどけている結愛ちゃん。本当に心を許している人に見せる無邪気な姿だ。
孫夫婦が離婚するころ、曽祖父母が「結愛ちゃんを連れて来てくれ」と頼んだことがある。それが結愛ちゃんを見た最後になってしまった。
「ニコニコして、車の中から“じいじ、ばあば、また来るからね”って手を振った姿が忘れられません。公園でボートに乗ったり、うちで飼っている犬にエサをあげたり明るく優しい子やった……。その後は母親に何度電話してもつながらなくて。自分でお腹を痛めて産んだ子なんやから、最後まで守るのが母親の役目やないんやろうか」
曽祖母は声を震わせながら、無念さをにじませる。そして、
「もし事件前に会えたら、じいじとばあばのところに帰ってきたかった? と聞きたい。私が引き取っていればこんな目に遭わせなくてよかった。結愛を返してほしい」(曽祖母)
亡くなったとき結愛ちゃんの体重は約12キロ。5歳児の平均体重より約6キロも少ない小さく悲しい亡骸だった。