『火垂るの墓』はあまりにも有名

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、野坂昭如さんとの思い出を振り返る。

奥さまについて話す姿も印象的

 野坂昭如さんとは、ともに『文春句会』で俳句を楽しんでいたお仲間だった。文壇界きっての犬猫好き、酒好きとして知られていたけど、冗談好きな人でもあった。

「猫のチンチラを26匹飼っているんです。書斎の本棚にぎっちりと並んでいて、自分が執筆している姿を見下ろしている」

 なんてまじめに話す。チンチラがおとなしく書棚におさまるわけがない。信じてるふりをすると、野坂さんは楽しそうに話を続ける。

「梅雨のときは、妻の手伝いをするため洗濯物を干すんだけど、妻と2人の娘の下着を万国旗のように、自分の書斎に干すんです。その様子を26匹のチンチラが見ている」

 どう考えたって作り話。26匹のチンチラなんて。私は大笑いしてしまった。だって、そんな書斎があったら見てみたいじゃない。

 奥さまである野坂暘子さんについて話す姿も印象的だった。きっと大好きだったんだと思う。

「彼女が酔っぱらって帰って来て、犬小屋で寝てしまった。だからお姫様抱っこをして部屋に連れ帰りましたよ」などと嬉々として話すけど、いつも酔っぱらっているのは野坂さんのほうだし、細身の野坂さんがお姫様抱っこなんてできる気がしない。もしかしたら逆だったのでは─。どこまでが本気でどこまでが冗談かわからない。でも、話がとっても面白い。

 あるとき、野坂さんに「一緒に舞台に出ていた大空真弓さんの楽屋に、(セゾングループの)堤清二さんから大量のお花が届いたのよ」と話したことがあった。堤さんといえば、辻井喬の名前で作家としても知られている。すると、野坂さんは、「それは大変だ!冨士さんがかわいそうです」と言う。

 翌日私の楽屋に、どういうわけか大岡信さんや井上ひさしさんといった著名な作家の方々から、たくさんのお花が届いた。「あまり面識もない私にどうして?」と思いながらも、いただいた方々のご住所を調べて、お礼状を書いていると、「あ!」と気がついた。

 きっとお名前を借りているだけで、送り主は野坂さんひとりなのでは……。そのことを野坂さんに問うと、フフフと笑っていた。いたずらを楽しみ、飄々としている。それが野坂昭如という人だった。

 野坂さんは、作家、歌手、タレントと、多彩なキャラクターを持ち合わせていたが、若かりしころはCMソングの作詞家として才能を遺憾なく発揮していた。

「伊東に行くならハトヤ、電話はヨイフロ」の名フレーズで知られるハトヤや、レナウン娘(レナウンワンサカ娘)といった昭和を代表するCMの歌詞を手がけ、後に『マリリン・モンロー・ノー・リターン』など数々の名曲を世に送り出す作詞家となる。『おもちゃのチャチャチャ』も、野坂さんの代表作。

『火垂るの墓』の原作者というのはあまりにも有名だけど、戦争の現実はもっともっとひどかったみたい。

 いつだっただろうか。句会を終えて、野坂さんと一緒にタクシーで帰ったことがあった。そろそろ私の家に着くというとき、突然、野坂さんが「冨士さん、この近くに飲食店はありませんか?ちょっとしたものでいいんです」と口を開いた。

 句会ではごちそうが出たのに、彼は一切食べずに、お酒だけをぐいぐいとあおっていた。近所においしい焼きそばを出すお店があると言うと、タクシーを降りた。お店に入って焼きそばが目の前に運ばれるや、よほどお腹がすいていたらしく、野坂さんは一心不乱に焼きそばを頬張り始めた。

 妹さんを餓死させてしまったという慙愧の念があって、大勢の前では食べる姿を見せたくないのかも─。おいしそうに焼きそばをかき込む姿をながめながら、私は痛々しい気持ちになった。

 吉行和子いわく「『火垂るの墓』を見ると、野坂さんの傍若無人を許してしまう」。野坂さん、礼儀正しい人でもありました。

〈構成/我妻弘崇〉

冨士眞奈美  ●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。