緑化活動に貢献した企業や自治体を表彰する式典に出席された佳子さま(12月11日)

 12月29日、29歳のお誕生日を迎えられ、20代も残すところ1年となる秋篠宮家の次女・佳子さま。今年は国内外で数々の公務に邁進された。

佳子さまから美智子さまの面影

「11月1日から10日間、南米・ペルーを公式訪問されました。細部にまで気を配られた振る舞いに、現地からは“ぜひまたペルーに”との声が相次ぎました。国内では、手話のスピーチコンテストや、ガールスカウトの行事など、佳子さまならではの公務にも多数出席されました。姉の眞子さんから引き継いだ公務も並行してこなされ、ハードな日々を送られたことでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)

 一方、佳子さまの公務に向かうご姿勢は、祖母にあたる美智子さまの面影をうかがわせるものがあるという。

日本テニス協会の式典で、車いすテニスの国枝選手にお声がけされた佳子さま(1月25日)

「'23年1月、日本テニス協会創立100周年記念式典に出席された際、佳子さまは車いすテニスの国枝慎吾選手にお声をかけられ、“長年すごく応援していました”とのおことばに、国枝選手も“非常に感動しました”と振り返っています。実はこれ、予定されていた段取りには組み込まれていなかったんです。“予定外のお声がけ”は、ご公務やご静養のために訪れた場所で時折、美智子さまも行っていらっしゃいました」

 名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、現在皇室にいらっしゃる女性皇族は、美智子さまのスタイルを踏襲されていると解説する。

佳子さまに限らず、雅子さまや紀子さまといった女性皇族のみなさまは、美智子さまの公務での姿勢を参考になさっていると思われます。というのも、美智子さまは女性皇族の公務スタイルを変えた先駆者でいらっしゃるのです。困難な状況にある人に常に目を向けられ、そうした人たちのため全国各地へ赴き、積極的な交流を行うようになったのは、女性皇族では美智子さまが初めてです。国民に寄り添うスタイルは、例にもれず、佳子さまも受け継いでいらっしゃるのでしょう

立ち居振る舞いで垣間見えた“美智子さま流”

ご静養のため那須町を訪問された美智子さまは地元女性にお声がけをされた(7月25日)

 “美智子さま流”は、佳子さまの公務での立ち居振る舞いにも垣間見えたことがある。

「'15年に伊勢神宮を参拝された佳子さまは、両手で扇子を真っすぐ水平に持っていらっしゃいました。美智子さまも神社を参拝なさるときには、扇子をお持ちになることが多かったことから、そのお姿が“美智子さまを彷彿とさせる”と話題になったんです」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)

 また、佳子さまがお召しになった帽子には美智子さまの愛情を思わせるエピソードが。

「佳子さまが公務の際にかぶられる帽子は、美智子さまの帽子のデザインを長年手がけてきた、帽子デザイナー・平田暁夫さんの長女である石田欧子さんが仕立てたもの。“孫娘を少しでも愛らしく見せたい”との“おばあちゃん心”もあってか、美智子さまは石田さんへ“可愛らしく仕立てていただきたい”とお願いされたことがあったそうです」

 年の離れたおふたりだが、共通点はほかにも─。

「ご自身やご家族に関する報道に対して、しっかりと目を向けられる姿勢は共通点といえるでしょう。佳子さまは国際基督教大学を卒業された際に公表した文書で、眞子さんの結婚に関する報道を受け、《メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています》などと綴られました。

 美智子さまも、ご自身へのいわれのないバッシング報道が相次いだ'93年に公表した誕生日文書で《事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます》と綴られました。挙措すべてが注目され、時にはマイナスにも捉えられてしまう難しいお立場だからこそ、共感できることが多々おありなのでしょう」

佳子さまの幼少期から密な交流

ご静養中、須崎の海岸で佳子さまが美智子さまへ貝殻をプレゼント('98年8月)

 おふたりは佳子さまが幼少期から密な交流を続けてきた。

「'08年2月、神奈川県の葉山御用邸でご静養なさっていた美智子さまはその直前、めまいなどの体調不良を訴えられていたといいます。そのような美智子さまを慮ってか、佳子さまは姉の眞子さんと姉妹だけで葉山を訪問され、おばあさまを労られつつ、貴重なひと時を過ごされました」(上皇職関係者、以下同)

 眞子さんとおふたりだけで、美智子さまのお住まいをお訪ねになることもしばしば。

「ある夏の夜、まだ幼かったおふたりが、御所を訪問された際、今の上皇陛下と美智子さまとご一緒に、線香花火を楽しまれたことがありました。その際、美智子さまは“花火をする前に、庭の土や木に打ち水をすること”や“花火に顔を近づけてはいけない”などの注意事項を丁寧に注意されていたといいます。初孫の眞子さんと次女の佳子さまを、とてもかわいがられていたんですよ」

 孫との積極的な交流を欠かさないのは、美智子さまならではのようで、

「かつて、皇族方の子育てや教育は乳母や家庭教師の役目でしたから、親と子が接する家族団らんの機会は一般家庭よりも少なかったのです。この風潮が変化したのは上皇ご夫妻が皇太子ご夫妻だった時代から。美智子さまはご自身の手で子育てをされ、家族水入らずの時間を大切になさいました。家族とのつながりを重んじられる美智子さまだからこそ、孫との交流も大事にされてきたのでしょう」(前出・河西准教授)

 美智子さまが長年にわたって、かいがいしくお世話をされてきた佳子さまも、今ではご結婚が噂されるご年齢に。

「現在、佳子さまにはお付き合いされている男性がいらっしゃるそう。しかし、公務を担う成年皇族が不足している現状へのご配慮から、弟の悠仁さまが高校を卒業され、単独での公務を担われるまで、結婚を先延ばしにされているそうです。悠仁さまの卒業まで、あと1年とわずか。結婚までのラストスパートとなるこの期間、ますます公務に邁進なさることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)

 いずれ迎えるご結婚までは、“美智子さま流”でプリンセスはひた走る─。

河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程』など著書多数