大谷翔平

 3月20日に開幕戦を控える大谷翔平。ドジャースの一員として初めて迎える公式戦が韓国で開催されるということもあり、話題になっている。

「韓国でメジャーリーグの公式戦が開催されるのは今回が初めてです。1月26日の夜からチケットが発売されましたが、もっとも高い席で約7万7000円、一番安い外野の立ち見でも約1万3000円。大谷選手が出場するかは、ケガの回復次第ですが、それほどまでに注目度が高い試合となっています」(スポーツ紙記者、以下同)

LAに招いた女性

 シーズンに向けて練習に励んでいる大谷。例年は帰国してトレーニングをしていたが、今回の日本滞在は数日間のみだった。

日本のアメリカ大使館を訪れていたことが話題になりましたが、ドジャース移籍に伴ってビザを書き換えるため、帰国したようです。その際に簡単な面接が行われるのですが、大谷選手であっても特別待遇はなく、一般の人と同じように面接の順番を待っていたようです。ただ、駐日大使が出てきて一緒に写真を撮っていたのは珍しいですね」

 大谷はアメリカに残って何をしているのか。現地で取材をするスポーツライターの梅田香子さんに話を聞いた。

ドジャースタジアムで4日練習して1日休みというペースでトレーニングをしています。あとは、家を買おうと探しているようです。まだ決まっていないようですが、買うとしたら高級住宅街のビバリーヒルズあたりかと思います。パパラッチも立ち入れないほどセキュリティーがしっかりしていますし、ドジャースタジアムにも近い場所にあるので、球場との往復も楽です」

 日本に帰らなかったこの年末年始には、ある人を招いて過ごしていたようだ。

両親をロサンゼルスに呼んでいたようです。大谷選手のお母さんは、ロサンゼルスにある会員制の日系スーパーの会員になったと聞いています。両親と落ち着いて過ごすためにも、早く家を決めたいと思ったそうです」(梅田さん)

二刀流を作った“おふくろの味”

 大谷の母、加代子さんが会員になったというのはどんなスーパーなのか。

『マルカイ』というスーパーのようです。大阪に本社を置き、輸入販売などを行う『マルカイコーポレーション』がアメリカで始めた日系人向けスーパーで、2013年からは大手ディスカウントストア『ドン・キホーテ』の運営会社が経営しています。お米のほか、みそやしょうゆといった調味料など、日本の食材を多く取り扱っています。母親がロサンゼルスに行ったときにはそこで買い出しをして、息子の大谷選手に手料理を振る舞ったのかもしれません」(現地メディア関係者)

 オフに母の手料理を食べるのは“恒例行事”だ。

「大谷選手は例年、帰国しても都内のタワーマンションとトレーニング施設を往復する生活で、外食をほとんどしません。加代子さんが岩手の実家から冷凍した手料理を東京まで運んだりしていたそうです。また、これまで右肘や左膝の手術を受けていますが、そのたびに加代子さんがアメリカまで行って面倒を見ていたようですね」(前出・スポーツ紙記者、以下同)

大谷翔平の母が会員になったというアメリカの日系スーパー『マルカイ』。日本の食材がそろう(『マルカイ』公式HPより)

 二刀流の身体をつくったのも、工夫をこらした“おふくろの味”。

「小さいころから栄養面を考えながら食事を作っていたそうです。また、当時の大谷選手は食が細かったのですが、加代子さんは無理やり食べさせるのではなく、楽しく食事ができるようにと、家族全員で夕食をとったり、休みの日にはホットプレートを囲んで食べるメニューにするなどの工夫をしていたみたいです

 胃袋だけでなく、財布のヒモも母が握っていた。

「日本ハム時代から多額の年俸をもらっていましたが、お金の管理は加代子さんに任せているようです。大谷選手も野球関係以外にはほとんどお金を使わないので、花巻東高校を卒業してプロに入り、2年目にはすでに200万円ほどの貯金ができたようです

 アスリートとしても、母から教わったことが今につながっている。

「加代子さんはバドミントンで国体に出場した経験もあります。大谷選手も子どものころに自宅前でバドミントンをしたり、加代子さんの所属するチームの練習に一緒に行くのが楽しみだったようです。“バドミントンをやっていたことで、身体のバランスがよくなった”と本人も話していましたね」

両親の“リフォーム拒否”

 もちろん、支えてくれたのは母だけではない。社会人まで野球をプレーしていた父の存在も大きい。

父の徹さんとは、幼いころからよくキャッチボールをしていたそうです。大谷選手が小学2年生のときに『水沢リトル』で野球を始めると、コーチでもあった徹さんと“交換日記”をしていました。大谷選手がその日できたことや反省点を書き、それに徹さんがアドバイス。その中で“全力疾走”など野球に対する姿勢を特に教えていたようです。それがあって、今の全力プレーでファンから愛される大谷選手になったのでしょう」

 両親がそろって気をつけていたことがある。

「夫婦ゲンカをしないようにしていたそうです。大谷選手が家にいるときは、ほとんどリビングにいて“居心地がよかった”と当時を振り返っていました。そうやって伸び伸びと育ってきたみたいです」

小学生時代の大谷翔平

 手塩にかけて育てられ、大谷選手も感謝を忘れない。

「両親について、“支えてもらいながらやりたいことをやらせてもらってきました。感謝しかないです”としみじみと語っていました。そういった気持ちから、日本ハム時代にさまざまな賞を受賞し、その際に副賞として車をもらうと、家族にプレゼントしていました

 受け取りを“拒否”されたこともあった。

翔平くんが実家のリフォームを提案したことがあったそうです。ただ、両親は“貯めておくように”と言って翔平くんのお金を使わずにリフォームをしていましたね」(大谷家の知人)

 両親の支えがあったからこそ、1015億円という大型契約を結ぶに至った。ドジャースでの活躍で、どんな恩返しをするのだろう。

梅田香子 スポーツライターとして、野球以外にもフィギュアスケートやバスケットボールなど多くのスポーツに精通。現在はアメリカに在住し、大リーグを中心に取材活動を行う