第35回 宮根誠司
「セクシー田中さん」(小学館)などで知られる人気漫画家・芦原妃名子さんの訃報。「セクシー田中さん」は日本テレビによってドラマ化されていましたが、少し前に芦原さんは製作上のトラブルをSNSで打ち明けていました。
ことの発端はドラマ版「セクシー田中さん」の脚本家が、「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることになりました」というSNSでの一文。原作者が脚本を書くというのは、あまり聞いたことがない。故に、「作者がウルさくて、自分で書くって聞かなくて、自分はアシストにまわされた」とでもいうような恨み節的ニュアンスを私は感じました。
ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」
一方の芦原さんは、X(旧ツイッター)でなぜ自分が9話、10話の脚本を書いたのか経緯を説明しています。現在は削除されていますが、まとめてみます。
・ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合は、しっかりと加筆修正をさせてほしい。
・漫画は未完なので、ドラマの終盤については「原作者があらすじからセリフまで」用意する。場合によっては原作者が脚本を担当する。
・ドラマの製作スタッフにとってやりづらいことが予想されるので、この条件で本当にいいのか、小学館の編集者を通じで日本テレビに何度も確認をとっていた。
つまり、脚本を原作者が担当する可能性があることについては、あらかじめ合意を得ていたと主張したわけで、原作者と制作陣の間に深い溝があったことを感じさせます。それから数日後にもたらされた訃報だっただけに、誰にとっても大変後味の悪いものとなってしまいました。
日本テレビは「原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきなら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております」とコメント、要約すると「え、ちゃんと原作者の許可はとりましたけど?」と我々は悪くないとばかりのコメントを発表したのでした。
この“許諾”というのが、ちょっとクセモノだと思うのです。ドラマの制作側は許諾されたと思っているが、原作者はそう思っていないということは多々あるのではないでしょうか。
実際、日本テレビは2008年にきくち正太氏の「おせん」(講談社)をドラマ化しますが、きくち氏は出来上がったドラマを見て精神的なショックを受け、一時休載したことがありました。きくち氏は自分の作品をわが子のように思っていたそうですが、「わが子を嫁に出して幸せになれると思っていたら、それが実は身売りだった」とコラムに約束が違った、作品を大事に扱ってもらえなかったことをほのめかしています。
ドラマ化をOKしてもらいさえすれば、こっちのもん!
原作とドラマでは内容が違うということはよくありますが、ある程度は仕方ない部分もあるのではないかと思います。ドラマを作るための時間や予算には限りがあるでしょうし、俳優のスケジュールの調整がつかなければ、筋書きを多少変更しなくてはならないことが生じるかもしれない。けれど、こういう時、適切なタイミングで原作者にきちんと説明できれば、おそらく理解してくれるはずです。けれど、「ドラマってそういうもんなんで」「上がそう言ってるので」「もう時間がないので」というふうに自分たちの論理を押し付けたり、「こういうふうに変更になりました」と事後報告して、原作者側はなすすべもないことを“許諾”と捉えていたという可能性も否定できないのではないでしょうか。「庇を貸して母屋を取られる」という諺がありますが、「ドラマ化をOKしてもらいさえすれば、こっちのもん!」という気持ちが制作側のどこかにあり、だから原作から大きく逸脱したキャラやシーンを平気で作ってしまう“やったもん勝ち”が後を絶たないのだと思うのです。
上記が悪意的な解釈ではあることは認めます。けれど、こう思ってしまうのには理由があるのです。‘23年9月30日配信の拙稿「価値観が透けて見える ジャニーズ問題にまつわるヤバ発言トップ3は、日テレ、志らく、中村仁美」内で触れていますが、旧ジャニーズ事務所が性加害を認めた際、日本テレビの社長が事務所に社名変更を求めていて、私は口をあんぐりさせたのでした。企業が不祥事を起こすことは時々ありますが、だからといって、取引先が「社名を変えろ」と要求するってアリなんでしょうか。テレビ局が社名変更を求めることは私には越権行為のように思えますが、なぜそのようなことが言えてしまうのかと言うと「オレたちがテレビに出してやっているのだから、オレたちの言うことを聞くべきだ」と、取引先を属国扱いしている意識の表れではないでしょうか。
「事情を知らない人」は語るな
今回の件も一緒で、ドラマ化をしたいと申し出ているけれど、本心は「メディアミックスだ、嬉しいだろう」と原作者や作品を下に見ている。ドラマ化されれば漫画は確実に売り上げが伸びるでしょうから、編集者もある程度テレビの言うことを聞かなくてはならない。テレビ局と出版社は今後もビジネス上のおつきあいを続けていくために、正面衝突を避けるでしょう。そうなると、原作者という後ろ盾のない個人にしわ寄せがいってしまう。その結果、原作者が「誰も味方がいない」「私の言っていることはわがままなのだろうか」と追い込まれてしまうと思うのです。冒頭、ドラマの脚本家の嫌味たっぷり発言をご紹介しましたが、家族や友達同士で話すならともかく、SNSにのせるべき内容ではなかったと私は思いますが、こんなことができるのは、脚本家もまた「自分の背後には、日テレという大組織がいる、自分が書いてドラマにしてやっている」という特権意識を持っているからではないかと思うのです。
テレビが一種の権力であることは疑いようがありませんが、そこに出演する人の権力意識も気にかかります。1月30日放送の「ミヤネ屋」(読売テレビ)で、ドラマの脚本家がSNS上でバッシングされていることを憂慮したMCの宮根誠司は「事情を知らない人がSNSでいろんなことを言う怖さというのは、十分認識しておかないといけない」と個人攻撃をたしなめています。憶測で誹謗中傷をしてはいけないというのは全くの正論ですが、宮根理論でいうのなら、番組は「真に事情を知る人」であるドラマの最高責任者であるはずのプロデューサーや脚本家を取材してコメントを取って来るべきではないでしょうか。それをせずに「事情を知らない人」は語るなと言うのであれば、宮根サンだって語る資格はないはず。「事情を知らない人」という言葉の裏には、シロウトがごちゃごちゃ言うんじゃねーよと一般人を下に見る意識が隠されていないでしょうか。
宮根サンはこうも続けています。
「原作者ももちろん、脚本家の方もドラマを良くしようと思って書いていらっしゃったと思う。それぞれがそれぞれの思いで作品をよくしようとしていたにもかかわらず、こういうことになってしまった。だから、SNSで安易に人を攻撃してしまうということは、自重してほしい」
一見正論風ですが、よく聞くとおかしい。日本テレビが原作者との約束を守らず、筋書きを変えたことは明白であり、因果関係があるとは断定できないものの、こんな悲しいことが起きてしまった。それなのに、日本テレビは「うちはちゃんとやりましたけどね」と木で鼻を括ったようなヤバコメントですませようとしているから炎上しているわけです。つまり、炎上の原因は日本テレビにあるのに、なぜ節度を持った一般人の言論までも統制されなければならないのか、私にはわかりません。
旧ジャニーズ事務所が性加害を認めた際、テレビ局だって知らないわけはないのに、各局は高みの見物のようなコメントを出していました。喜多川氏はスターになりたいが故に喜多川氏を拒めない、弱い立場の少年を毒牙にかけ、なんでもいいから視聴率がほしいテレビ局は見て見ぬふりをした。そういう意味で、テレビ局は旧ジャニーズ事務所と同じ体質を持つ共犯者であるとすら言えます。
‘23年6月7日配信の拙稿「ジャニーズの闇はテレビ局も“共犯” 櫻井翔、性加害言及も浮き彫りになったタレントキャスターの限界」において、テレビ局が数字され取れれば何でもいいという体質を改めないのなら、思わぬヤバい暴露が待っているかもしれないと書きましたが、テレビ局が権力を持たないフリーランスや一般人を軽く見てやりたい放題を続けるのであれば、今後はもっともっとヤバい事実が明るみになるかもしれません。
<プロフィール>
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」