試合が終了した瞬間、両拳を天に突き上げ、持てる力をすべて使い果たしたようにその場に倒れ込んだ。卓球のシングルスとしては、男女を通して、日本人初のメダルを獲得した水谷隼。
「その後に行われた団体戦でも、銀メダルを獲得。決勝戦のシングルスでは、これまで1度も勝ったことのなかった中国人選手を下す大活躍をしました。
対戦した許昕選手は、ほか3人の中国人選手とともに、卓球界では“ビッグ4”と呼ばれる有力選手。彼はこの4人に対して、過去0勝33敗でしたから、今回の勝利はとても大きなものです」(卓球協会関係者)
獲得した2つのメダルには、ただ試合でライバルたちに勝ったというだけでない、深い意味があった。
「卓球界には“不正行為”が蔓延しています。木のラケットにはゴムでできたラバーを貼りますが、そのラバーを貼るときに、ある“補助剤”を塗ると、打球のスピードや威力が増すのです。国際卓球連盟では、これを使うことを禁止しているのですが、日本以外の国の多くの選手が不正に使用していると言われています。水谷選手は、この不正行為の撲滅をずっと訴え続けてきたのです」(スポーツ紙記者)
水谷は'12年の北京五輪後、補助剤の問題を世界に訴えるため、世界大会への出場を半年間キャンセル。選手生命を賭けた。しかし、それでも卓球界は変わらなかった。
「補助剤には危険な成分が含まれ、日本人選手が意識不明になるなどの事故も起こっています。水谷選手はロンドン五輪の直前に、国際卓球連盟に対し、補助剤の使用禁止の徹底を訴えましたが、状況は変わりませんでした。彼は不正なしでロンドン五輪に臨みましたが、結果はシングルスで4回戦敗退に終わりました」(前出・スポーツ紙記者)
そのロンドン五輪後、水谷は変わったという。幼少期から彼を追いかけているスポーツライターの城島充さんは、
「彼は卓球という競技を守るために不正の撲滅を訴えたんです。しかし、ロンドンでは結果が出なかったため、大会後“メダルがとれない言い訳”“そんなヒマがあるなら練習しろ”という声も少なくありませんでした。
すごく苦しんだのですが、そこで彼は、いつまでも変わらずに不正が行われる卓球界の現状を嘆くのではなく、この不正に勝つために、ロシアに渡って自分を鍛え直したのです」
ロシアではリーグ戦に参加。個人契約で中国人コーチを雇い、食事制限の徹底など、プロのアスリートとして自らを変えた。その結果が、今回のメダルだった。
「ロシアに渡ったのはすごい覚悟でした。ロンドンで負けてから、リオまでの4年間の成長はとてつもなく大きいです」(前出・城島さん)
現在、国際卓球連盟が使っている検査機では、補助剤の成分を検出することができないため、リオ五輪でも問題は解決されなかった。
団体戦終了後、水谷はインタビューで、
「補助剤自体は卓球界から全くなくなっていないし、ロンドンのときと何も変わっていないと思います。何を言っても今のところ変わる見込みがないということを受け入れて、技術と戦術、いろいろな心技体を鍛えることにしました」
と、コメント。不正を乗り越えて勝ち取った2つのメダルには、金メダル以上の輝きがあった。