そんなレコ大歌手の彼が、今年1月19日に山梨県内にある自宅アパートで、ひっそりとこの世を去った。
「矢吹さんはアパートにひとり暮らしで、高齢者向け宅配弁当を頼んでいました。その日もお昼ごろにお弁当屋さんが来て、ピンポンを鳴らしても出てこないので部屋に入ってみたら、矢吹さんが倒れていたそうです。静かな最期でしたね」(近所の主婦)
ブレイクした後も何曲かヒットを飛ばしたが、人気は長続きしなかった。’80 年代に入ると下降線をたどり、スナックやキャバレーなどを回って営業をしたという。
そんな彼に最大の不幸が襲う。’99 年に、ひとり息子が20代の若さで病死したのだ。
「しかも、息子さんの後を追うように、’03 年には奥さんも相模湖に遺体で浮かんでいるのを発見されたんです。湖畔に残された奥さんのバッグには、息子さんの形見である携帯電話が残っていたそうですよ」(芸能レポーター)
奥さんが亡くなる1年前、矢吹さんは脳梗塞で倒れ、生まれ故郷の山梨県内でリハビリ生活を送っていた。妻と別居中に起きた出来事に、ひどく心を痛めていたという。
「もともと酒癖がよくない人だったけど、息子さんと奥さんを立て続けに亡くしてからは、余計に酒に逃げるようになってしまいましたね。デビュー翌年の人気絶頂のときに、いきなりカツラであることをカミングアウトするなどお茶目な一面もあった。でも、最近は寂しく近寄りがたい雰囲気がありましたね」(レコード会社関係者)
そんな無謀な生活は徐々に身体を蝕んでいったようだ。
「彼は重い糖尿病を患っていて、過去にも1度倒れているんです。そのときは発見されるのが早かったから、救急搬送されて一命を取り留めたんです。でも、彼の部屋に行ったことのある人に聞いたら、冷蔵庫にはアイスクリームが目いっぱい入っていて、部屋の壁はタバコのヤニでべったりだったとか。とても身体を気遣う生活はしてなかったんじゃないかな。ただ、デビュー当時の写真が貼ってあり、ギターもちゃんと手入れしてあったそうです。もう1度、人前で歌いたかったんじゃないかな」(芸能プロ関係者)
矢吹さんの終の棲家となったのは家賃4万、築18年のワンルームアパート。ここに10年ほど前から暮らしていた。
「近所の人たちは彼があの矢吹さんだって知っている人はほとんどいないと思いますよ。私もお亡くなりになってから知って、驚いたんですから。よく、隣のスーパーから食料品やお菓子、果物なんかをカートいっぱいに買って、そのカートを部屋の前まで持ってきて置きっぱなしにしちゃっていたんです。それを定期的に来られるヘルパーさんに怒られていたのが印象的ですね」(前出・近所の主婦)
矢吹さんの部屋にはヘルパーさんと宅配弁当屋さんが定期的に訪問していた。だが、そのほかの人が訪れることはほとんどなかったという。
「彼を最後に見かけたのは亡くなる1週間くらい前でした。これから買い物に行くところだったのか、会うと軽く会釈をしてくれました。頻繁に会うわけじゃないけど、いつもどおりで特に体調が悪そうという感じではなかった。それにしても、私だってひとり暮らしだし、いつ、矢吹さんみたいになっても不思議はないよね……」(同じアパートに住む年配男性)
亡くなってから約半年。これまで、彼の訃報は1行も報じられていない。