全聾の作曲家として脚光を浴びた佐村河内守氏(51)。だが"現代のベートーベン"の実態は、大ペテン師だった。
’14年2月、ゴーストライターをしていた新垣隆氏(44)が真相を暴露。佐村河内氏は謝罪会見を開き「再検査の結果、『聴覚障害』には該当しなかったため障害者手帳は横浜市に返上した」と主張。その後、表舞台から姿を消した……。
「現在は自宅を横浜市から都内に移し、弁護士以外との関わりをほとんど絶っていると聞いています」(全国紙記者)
横浜市のマンションを尋ねると応答なし。佐村河内氏を乗せたタクシー運転手も、
「事件後、見かけませんね。彼は普通に会話ができ道案内もばっちりでしたよ(笑い)」
昨年末、事件後初めてテレビ特番に登場した際には、長髪とひげ姿に逆戻りし反省の意を述べたが、騙した人たちに対する責任や謝罪は、きちんと果たしたのだろうか?
一連の騒動で全国ツアー14公演が中止になり、損害賠償約6100万円を求めて提訴した大阪の企画会社は、「その件に関する取材はお断りしております」と冷ややか。
著作権信託契約を昨年末で解除した日本音楽著作権協会は、「疑義を晴らす資料の提出を何度も求めたが証明がなされず、契約解除に至りました」
印税返還問題は未決着という。
厚労省は、事件を受けて身体障害者手帳の認定要領を改正。手帳を持たない聴覚障害者に対し、最重度の2級を診断する場合、多角的な検査を行うよう義務づけた。これを受け、全日本難聴者・中途失聴者団体連合会の新谷友良理事長は「本当の聴覚障害者が手帳を取得するのにも負担が大きくなってしまった。〝ごまかしているのでは〟と毎回疑われるのは気分が悪いです」と話す。
「全く聞こえないか、少しでも聞こえるかという『0』か『1』ではない。微妙に聞き取りにくいなど、間で苦しんでいる聴覚障害者が多いこともわかってほしい」と事件前からある課題を訴えた。
各界の関係者をかき乱した佐村河内氏だが、さらに大罪があった。’13年、東日本大震災の被災者に向けたピアノ曲を作る過程で、母を津波で亡くした宮城・石巻市の梶原真奈美ちゃん(当時10)と親交を深め、鎮魂歌を完成させた。ドキュメントとしてテレビ放送され、視聴者の涙を誘った。
母の死を受け止めきれなかった真奈美ちゃんと、一緒に暮らす祖母の精子さん。やっと踏み出せそうな矢先に信じた人は、大嘘つき男だった。精子さんは声を震わせる。
「真奈美も、亡くなった娘も、傷つけられて屈辱ですよ。地獄に突き落とされた。被災して何もない中でも、誠心誠意おもてなししたのに……」
怒りと無念さを奥歯で噛みしめ、孫娘の心の傷を憂う。
「真奈美は守さんのことを"思い出したくない。みんなを騙した裏切り者だよ"って。どれだけ傷ついたか……無垢な子どもを苦しめたことが、何より許せませんよ」
一方、佐村河内氏とは対照的に、新垣氏は面識もない真奈美ちゃんを訪ね"自分にも責任がある"と事情を説明して深々と頭を下げたという。
「守さんも人の心があるなら1度謝りに来てほしい。お互い前に進めないでしょう?」