安保さんが亡くなった。安保由夫(あんぽ・よしお)さんは1971年から1981年まで唐十郎さんの「状況劇場」にいた。

 劇団では舞台の音響を担当をしたり、数々の劇中歌を作曲した。退団後も「新宿梁山泊」「劇団3○○」「第七病棟」「劇団唐組」などの劇中歌を作曲していた。俳優としても映画に出たり、ドラマにも出たりしていた。

 何といっても有名なのが、『唐版 風の又三郎』の劇中歌「風の又三郎」。また、ピップエレキバンのCMソングでヒットした、日吉ミミの「北風ぴゅうぴゅう」も作詞・作曲している。話を聞いて驚いた覚えがあるのは、キユーピー「あえるパスタソースたらこシリーズ」のVCM「たらこ音楽隊」篇のナレーションも安保さんだった。

 そして、安保さんは新宿のバー「Nadja(ナジャ)」のマスターでもあった。

 ボクとはそのNadjaで、もう30年くらい前に知り合った。

 雑誌社の担当と原稿を書き終わった後や取材の帰りに立ち寄った。ときにはボクひとりだったり、友人ともフラッと寄ったりした。

 泥酔しても、Nadjaに足が向く。そう広くない店に入ると、馴染みのお客さんが数人いて、安保さんと奥さんのクロちゃんが微笑んでいる。

 そういえば、Nadjaの閉店時間って何時だったんだろう?

 始発までやっていたんだろうか? 夜中の何時に行っても、待っていてくれた。原稿を書いたり、世の中にあってほしくないつらい事件現場の取材の後、ふっと寄ってクールダウンした。

 同席するお客さんからもたくさんの刺激を受けたし、話を聞いているだけでも高揚した。馴染みのお客さんも荒木経惟さん、嵐山光三郎さん、南伸坊さん、島田雅彦さん、小林恭二さん、佐野史郎さん、篠原勝之さん、四谷シモンさんなどなど、いろいろな方とお会いした。

 安保さんの人柄で、本当に多くの人と飲んで話した。ときには激論になることもあったが、安保さんは穏やかだった。

 9年前のNadja 40周年のパーティーには、唐十郎さんや、石橋蓮司さん、村松友視さん、三上寛さん、吉増剛造さん、宇野亜喜良さんや上記のそうそうたるメンバーやマスコミ業界の面々、劇団関係者など濃い、本当に濃いメンバーでお祝いをしたのだ。

 こうして思い出話を書けば、際限ない。マスターの安保さんはクロちゃんと絶妙なコンビで、こんなボクみたいなやさぐれた人間の居場所をつくってくれていた。

 喉頭がんを手術、放射線治療で寛解したはずだったが再発。転移していたそうだ。9月20日早朝、急死。死因は心不全。67歳だった。8月30日には国会前のデモにも参加していたという。

 まだまだ、いろいろな話を聞きたかった。

 Nadjaはクロちゃんが9月21日から開けているという。

 はやくNadjaに行かねば……。

 クロちゃんと安保さんは、そこでいつも微笑んで待っていてくれているに違いないからね。

安保由夫さんの急逝は、9月23日の新聞各紙で報じられた。写真は今年3月17日、神足氏が倒れてから初めてNadjaを訪れたときに撮影(左奥が安保さん)。神足氏は「ちょっと自分に戻った気がした」と記している。

〈筆者プロフィール〉

神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari