高円宮家の三女・絢子さまが4月17日、学習院大学キャンパスで行われた行事『オール学習院の集い』で、“労働”をされていたことについて、「絢子さまはお忍びで働いていましたが、他のスタッフと同様、日当として5000円を受け取られたそうですよ」と話すのは学習院関係者。
この日は、春の嵐とも言うべき荒天で、午後には屋外での催しが中止になったが、それまで絢子さまは汗を流されていた。
「絢子さまは射的やプラバン作りもあり、子どもたちに人気の『縁日』のコーナーで、輪投げの係を担当されていました。
赤いジャンパー姿で他のスタッフと同じように働かれていたので、女王殿下だと気づいた人はほとんどいなかったと思います」(同・関係者)
この3月に、城西国際大の大学院を修了したばかりの絢子さまは、この仕事を長く続けられているという。
絢子さまの姉で、高円宮家の長女・承子さま(30)は、3つの大学で学んだあとの'13年4月に、「日本ユニセフ協会」に常勤の嘱託職員としてご就職。
「27歳での就職だったので、初任給は25万円ほどだったようです。
毎日、地下鉄通勤で、'14年にはベトナムへ海外出張もされ、出張手当なども受け取られているはずで、一般のOLやサラリーマンと変わらないお給料だと思います」(宮内庁関係者)
'02年に47歳の若さで薨去された父・高円宮さまも、「国際交流基金」に嘱託で勤務されていたことが影響したのかもしれない。
高円宮家を知る関係者は、こんな話をする。
「高円宮さまは、皇族にはない健康保険証をお持ちでしたので、待遇は他の職員と同等だったようです。
特に女性皇族は、一般人と結婚されると、民間人としての生活が始まるので、普通の生活を見せておきたい、父親としてのお気持ちがあったのかもしれません」
しかし皇室には、いわゆる「公務」と呼ばれる公的活動があり、生活費などは国費で賄われるはず。
報酬を受け取る就職やアルバイトをされる背景には何があるのだろうか─。
「特に宮家皇族は、公務以外の私的な仕事や、資産運用などで所得を得ることに問題はありません。
というのも、宮家皇族に国から支給される『皇族費』は、両陛下と皇太子ご一家(内廷にあたる皇族)に支給されている『内廷費』と違い、生活費すべてをカバーするものという考えではないからです」
そう説明するのは、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。
「皇族費の具体的な額を規定している『皇室経済法施行法』は、昭和22('47 )年に制定された法律です。
その国会審議において政府は、皇族方の生活に必要な経費の75%を皇族費として国から支給するという考えを示しています。
つまり、不足分は皇族方ご自身で何とかしていただくということです」(山下さん)
高円宮さまの兄で“ヒゲの殿下”の愛称で親しまれた故・寛仁さま(享年66)も月刊誌で、
「(治療費や通院費は)全部、現金で払う」
「人件費だけで歳費の半分は飛んでしまう」
と楽ではない“台所事情”を明かされている。
そんな奔放な言動で知られた寛仁さまは、'70年に「冬季五輪札幌大会組織委員会」に就職され、月給は4万1700円で、アパート暮らしをされていたという。
そして、長女の彬子さま(34)と次女の瑶子さま(32)への“お小遣い”について、
「中学1年のときから毎月、予算請求を出させ、私が自分で稼いだお金の中から─」
と新聞のインタビューでお答えになっている。
お父さまのそんな“背中”を見てきたのか、ふたりとも就職して職務に励まれている。
「彬子さまが、立命館大学のほかにも京都市立芸術大学、京都産業大学などで客員研究員などをかけ持ちされているのは、皇族費だけでは京都での生活費が、足りないこともあるようです」(宮内庁関係者)
公務以外の仕事をされるのは、お金のためだけではなく「視野」を広げ、「社会経験」を積み、「ライフワーク」を果たす目的もある。