わずか11か月間で膀胱がん、胃がん、結腸がんを発症。それも転移ではなく別々の発症だ。しかも、53歳という若年期での同時発症は極めてまれだ。

 

 3つのがんに見舞われたのは北海道札幌市に住む男性(現在57)。仮にAさんとしておく。

 Aさんは長年“一人親方”として重機のオペレーターに従事していた。その腕と経験を買われ、知人から誘われたのが福島第一原発の収束作業だった。簡単に言えば、放射能汚染されたガレキ等の撤去作業だ。

 原発爆発事故からわずか数か月後に誘いを受けたとき、Aさんは「行きたくない」と思った。だが、どうしてもとの誘いを断れず、「いやいや行った」のだ。

 就労は2011年7月4日から10月31日までの4か月間。Aさんは今、働いたことを悔いている。

 一般人の年間被ばく量は1ミリシーベルト(以下、mSv)と規制されているが、原発労働者の場合は、年間最大で50mSv(5年間の累計で100mSvまで)。だが、Aさんは4か月で56・41mSvと年間の上限に達したため退職する。そして翌'12年6月、'13年3月、5月と冒頭の3つのがんに侵されたのだ。

 自分がこうなったのは、原発の労働環境以外に考えられない。Aさんは今年9月1日、東京電力、その元請けの大成建設、そして一次下請け業者の山﨑建設の三者を相手取り約6500万円の損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に起こした。

「福島第一原発での収束作業と発がんの因果関係を争うことでは初めての裁判になります」

 こう語るのは、9人の弁護士で構成するAさんの弁護団団長、高崎暢弁護士(たかさき法律事務所)だ。

「本人には身体をボロボロにされた憤りはあります。でもそれ以上に、もう被ばく者を出してはいけないとの思いが強いんです」

 だが、Aさんの被ばく量は年間上限の50mSvを少し超えただけだ。これで、3つのがんとの因果関係を争えるのか。

 この疑問を高崎弁護士にぶつけると、「56・41mSvはあくまでも表向きの数字。なぜなら、Aさんらは線量計をはずして働いたこともあるし、放射線値の高いガレキなどを直接、人力で抱える危ない労働もしていたからです」と、その労働環境こそが被ばく者を生み出すと強調した。

 じつは、体調を崩して労災申請をした福島第一原発の元労働者は、Aさんを含め8人いる。1人だけ申請を取り下げたが、Aさんを含む5人に不支給が決定し、2人が審査中だ。