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 国が進めてきた政策が生んだゆとり世代。彼らとの接し方を示すビジネス本も出版され「これだからゆとりは……」となにかにつけて揶揄される。その時代の教育を受けた世代というだけで、ひと括りにされ否定されるのはなぜなのだろうか?

 “ゆとりがある人は違う”“どんなときもゆとりが大切”など、本来、いい言葉で使われるはずの“ゆとり”。その言葉が世代と合体し、“ゆとり世代”となると、ニュアンスが一変してしまう。

「自分、ゆとり世代なんで」なんて言おうものなら、周囲の見る目までが、がらりと変わる。

 都内に住む女性(26)は、「年上の人によく言われたことがあります。質問に質問で返したときとか、これだからゆとりは……って。やっぱり失敗作なのかなと思っちゃう」と自嘲ぎみに話す。

 現役大学生(23)は、「正直、嫌な気分にしかなりません。そもそもそっちが勝手につくったんだから、責任とってよ、って思いますね」と吐き捨てる。

 5月10日、馳浩文科相が「ゆとり教育」との訣別を宣言した。“ポストゆとり”を目指し、教育行政は大きく転換することになる。

 同省・初等中等教育局教育課程課は、「脱ゆとりというのは、ゆとりか詰め込みかという二項対立ではなく、バランスよくやりましょう、という話です」と説明を加える。

 公的には、1998年に学習指導要領が改訂され、2002年から始まったとされる「ゆとり教育」。その教育を受けた1987年4月2日生まれから2004年4月1日生まれが“ゆとり世代”と呼ばれる。年齢でいえば、12歳から29歳まで。中高年になっても“ゆとり世代”、老人になっても“ゆとり世代”。うれしくないレッテルが生涯、ついて回る。

 著書『反「ゆとり教育」奮戦記』を記した桜美林大学・学長特別補佐の芳沢光雄教授は、「ゆとり教育は2002年から始まったのではなく、1977年に改訂され、1980年に施行された学習指導要領から始まっています」と定義。

「ここから、学習内容、授業時間が削減されていきました」と表情を曇らせる。そこに2002年のゆとり改訂が加わり、教育をさらにこじらせた。芳沢教授が続ける。

「教科書から計算問題が著しく少なくなりました。計算問題を解く回数が減少し、習熟度が低下したわけです。教科書の内容は薄っぺらになる。裕福な家庭の子どもは学習塾に行き、参考書で補える。それができない家庭の子との教育格差が拡大したのです」

 “ゆとり教育”の象徴として語られることが多い円周率。小学校の算数で3.14と習ってきた円周率を3で計算するのが“ゆとり世代”と、色眼鏡で見られる。

「教科書には3.14と書いてあります。問題は3ケタ同士の掛け算です。2002年の改訂で、指導要領の範囲外になったのです。半径11センチの円があった場合、面積の求め方は11×11×3.14、つまり121×3.14となり3ケタ同士の掛け算になってしまう。だから円周率は3でいいとされてしまったのです」(芳沢教授)