放置されれば命とりになりかねない状況。救ったのは、高齢の母親だった。

トイレで孝が死んだみたいに出てこないの

 異変に気づいた母親は、機転を利かせて進に電話した。

「それで、俺が救急車を呼んだわけ。おふくろは軽い認知症があったのに、よく気づいたよ。ほんと、兄貴はついてたと思う」(進)

 すぐさま病院に搬送され、高血圧が原因の脳出血と診断された。血流を改善する薬を点滴し、命の危機は脱した。

 しかし、ホッとしたのもつかの間。待っていたのは、厳しい現実だった。

「出血したのが、右側の視床下部で、位置がよくなかった。医者は、同じ病気で入院してる8人の中で悪いほうから2番目だって。左半身にマヒが残ると知ったときはなぜ俺が? って茫然(ぼうぜん)としたよ

 仕事柄、健康には人一倍、気を遣っていた。

 ジョギング、腹筋、腕立て伏せと、毎日1時間半ものノルマをこなし、食事面でも塩分を抜くほど、自己管理を徹底して。だからこそ、「まさか」の思いが募った。

「最初はどうにか治るんじゃないかと思ったけど、リハビリが始まって、どんどん実感がわくわけ。ああ、本当に動かない。俺、ダメなんだって。悔しくって、落ち込んだよ。だけど、だんだんと気持ちが変わっていったんだ。なるようになるさ、って

 人一倍、責任感が強い孝は、これまで自分に厳しく生きてきた。仕事はもちろん、運動も母親の介護も、どれひとつ手を抜くことなく。ときに頑固と言われるほどに。

 しかし、病に襲われ、痛感したという。

もう今までの身体と違う。同じようにやろうとしたら、できない自分にイライラするだけだ。この病気になったのだって、そんな生き方がストレスになったからかもしれない。だったら、もう自分を縛るような生き方はやめようって。それからだよ。リハビリに前向きになれたのは」

デビュー当時のビリー・バンバン
デビュー当時のビリー・バンバン
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身体の自由を失って気づけた大きな収穫

 3か月ほどで退院。自宅に戻ってからは、妻の手を借りながらも、できることは自分でやるよう心がけた。

 というのも、育て上げた5人の子どものうち、長男が孝より数か月前に、同じ病、脳出血を発症、長女も乳がんと統合失調症を患っているため、妻の介護が必要だからだ。

「右利きで利き腕が残ったから、箸も使える、歯磨きもできる。せんべいの個別包装はありがた迷惑だけど、それだって、こうやって(歯を使い)開けられる。カミサンは必要以上に手を出さず、そんな俺を見守ってくれてる」

 週に2回は専門のリハビリ師の訪問を受ける。取材当日も、終えたばかりだった。

「今日も杖(つえ)を使って、廊下を10往復だよ。リハビリ師さんに、“あと1回できますか?”なんて言われると、疲れてても、“やります!”って答えちゃう。マゾだから(笑)。もちろん、ダメな日もあるけど、いい意味で、“いい加減”にやってると、嫌にならずに続けられる。それで、今までできなかったことが、ある日ふっとできたりすると、うれしいんだ

 発症当初は記憶力が弱り、「あれ、なんて名前だっけ?」と物の名前が出づらかったが、ひとつひとつ克服している。

「今、思い出せないのは、テレビで顔を隠す、あれ」

「モザイクですか」と答えると、「それだ! モザイク。もう忘れないぞ。こうやって、思い出せない単語を片づけていって、ずいぶん減ったんだ」