「障害がない」と言われて失望する女性たち
ところが、問題はその先だ。
「私は発達障害についての専門的知識は乏しいので、絶対に正しい診断とは言えませんが」と断ったうえで、「あなたには何らかの発達上の問題があるとは思えません」と告げると、これまで経験した限りではすべての女性は失望の表情を見せたのだ。
「えっ、そうなんですか。私、ADDじゃないんですか。アスペルガーでもない? そうか……」
最初はその失望の意味がよくわからなかった。「障害の可能性は低い」と言われて、なぜがっかりするのだろうと思っていた。
しかし、何人かに話を聴くうちに、そのわけがわかった。やや厳しい言い方をすれば、彼女たちは自分が思うどおりに整理整頓や書類の提出ができないのは、「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」と思いたがっているようなのだ。
「じゃ先生。私が“片づけられない”のは何のせいなんですか? 病気や障害じゃないとしたら、やっぱり私がだらしないからだとおっしゃりたいのですか?」と怒り出す人もいた。
私は彼女たちに、「あなたのお話を聴いていると、“片づけられない”のもそれほど深刻な問題じゃないじゃないですか。そもそもあなたは働きすぎですよ。それくらい忙しい毎日なら、掃除や整理整頓ができなくてもムリはないです。少しゆっくりしてください。片づけは後回しでもいいじゃないですか」などと、「がんばりすぎ」や完璧主義にこそ問題があることを指摘するようにした。それで納得してくれる人もいれば、それでも中には「セカンドオピニオンを受けたいので、発達障害の専門医を紹介してほしい」と希望する人もいた。
もしかするとこの人たちは、「そうです。あなたは成人型のADHDです。あなたの悩みのすべてはこの障害を持つがゆえです」と告げられるまで、延々とドクターショッピングを続けるのかもしれない。必ずしもそうではないのに、「あなたは発達障害です」と言ってほしい人たちがいる。「私、発達障害なんだって」と言いたい人たちがいる。そういう人たちの存在に気づき、私は今回『「発達障害」と言いたがる人たち』を書くことにした。
その可能性は低いのに「私は発達障害かも」と思う人が増えているという、医療の問題というより社会的な現象について取り上げ、その原因などを考えてみたい、というのが目的だ。