「本人意思の尊重」という根本理念が形骸化している
この後見人に限らず、自分が保護する相手の認知症高齢者や障害者本人と一度も会わない後見人は決して珍しくありません。
成年後見制度の根幹を成す理念があります。「(後見人は本人の)意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない」(民法858条「身上配慮義務」)というものです。
ところが現実には「認知症高齢者や障害者と会っても仕方がない」と言って本人と会わない後見人が少なくありません。「本人意思の尊重」という根本理念が形骸化しているのです。
これについては、成年後見制度の運用と後見人の監督責任を持つ全国の家裁も懸念を深めています。今年5月、大阪家裁は、成年後見制度の利用者が一向に増えないことを受け、後見人に「本人意思の尊重」を行うようガイドラインをまとめています。
これについて4月30日付けの「読売新聞」は、利用者の伸び悩みについて「本人の意向を確認せず、勝手に判断する後見人への不満が一因とされる」と指摘しています。
制度発足から18年も経つのに、いまさら、こんな当たり前のことを家裁が釘を刺さねばならないのが成年後見制度の現状なのです。
日本の成年後見制度にある本質的な矛盾
現在、日本の後見人の7割は、弁護士、司法書士、社会福祉士といった職業後見人が占めています。一方、親や子供のことを一番よく知っているはずの家族などの親族は後見人の3割しかおらず、その割合は年々減っています。
現在では、家裁が家族などの親族を後見人に選任することは基本的にありません。これは後見人の6〜7割を親族が占めている欧米先進国と対照的です。
なぜ、こうした特異な運用が行われているのでしょうか。
成年後見制度は、司法の中で最も行政寄りの分野と言われています。判断能力が不十分な人が契約社会のなかで不利なく渡り合って行けるようにすることが最大のテーマであり、その意味では福祉的要素が強い分野とも言われています。
成年後見制度は、本来は、福祉の分野であり、行政が担当すべきだと言われているのです。
ところが日本では“福祉の素人”のはずの家裁が、後見人の選任、後見監督などの権限を独占的に握っています。ここに日本の成年後見制度の本質的な矛盾があります。
家裁の裁判官、職員には、福祉の専門知識がない上、家裁の限られた予算と人員で、個々の後見事件を監督、指導できるはずがありません。
そこで全国の家裁を統括する最高裁家庭局は、家裁の監督責任を法曹界仲間の弁護士と司法書士に丸投げして辻褄(つじつま)を合わせようとしました。弁護士、司法書士を後見人や後見監督人に選任して、家裁の代わりに監督させようとしたのです。その結果、後見人の大半を職業後見人が占めることになったのです。