高野さんがプログラムを行なっているグランドプレーリー市は石油産業の町だ。この町には、長時間休まずに身体を使って働くことが男らしいという価値観があるという。

ここで育った加害男性は身体を張って働き、家族を養うことでセルフエスティーム(自尊感情)を支えている。頑張って仕事をして、家族にお金を与えることに誇りがある。それで満足して、自分の感情を正直に話すとか、自分の気持ちと向き合うということはしない。ところが子どもを叩いて、子どもから父親と会いたくないと言われてしまうと、誇りが傷つけられて、暴力が発動する。

 そのとき当事者は、大切なものが侵されているという体験をしています。その結果状況が、本人の切望感とは真逆の方向に進み、恥辱につながる感情が生まれます。それは、怖いとか、悲しいとかつらいという感情にもつながっています。しかし、その感情を言葉にすることは難しく、むしろアドレナリンを出して、怒りにしたほうが、発散しやすいのです」

暴力・虐待の「第一ページ」を開く

 そんな当事者に、高野さんは繰り返し、関係性の中で自分自身の切望感が侵されたときの気持ちを聞く。

「すると、頭にきた、とか、ぶん殴ってやろうと思ったという気持ちの下に、怖かったとか、悲しかったとか、自分自身にひどくがっかりした、という感情があったことがわかってきます。

 安心できる環境でないと、加害者はそうした気持ちを語れません。何でも話してもらう環境を作ることがセラピストの腕です。

 怒りも含め、感情の動きはその人の大切な切望感につながっています。恥辱のもとを語るときには、感情が動き、身体に変化が現れ、呼吸が変わったりします。そこで身体が感じたことを言葉にしてもらう。それに対して、仲間たちからは『わかる、わかる、自分も同じだった』というようなフィードバックもあります」

 そうしたやりとりの中で、自分の父親も自分と同じように怒鳴ってばかりだったという話が出てくる。

「それは今まで、誰にも語られたことのないエピソードです。

 DV加害者も、生まれた時から暴力や虐待を習得していたわけではありません。暴力を振るったり虐待をするために生まれてきたわけでもありません。彼らの人生のどこかで暴力や虐待が侵入してきたのだと思います。その時のことについて語ってもらうことを、私は暴力・虐待の『第一ページ』を開くと言っています」

 そこで高野さんは、幼い自分が父親に怒鳴られたときには、どんな気持ちだったかと尋ねる。

「怖かったと言葉になると、それでは自分の子どもにはどうあってほしいかと尋ねます。怖がらないで、何でも話してほしいという言葉が出てきます。それでは、あなたがどうすれば子どもたちは怖がらないで話をしてくれるだろうかと尋ねます」

 幼い時の父親からの暴力の体験は、それまで語られてこなかったその人の「物語」だ。その物語を語ることで、自分自身が、そうではない親子関係を作るための責任を取ることができることに気がついてく。その結果、加害者のセルフエスティームは変化していく。