多忙を極めつつあったSMAPだが、「メンバー間の関係性はよかった」と鎌田さんは振り返る。

「それまでのジャニーズはメンバーの不仲も珍しくなかったけど、SMAPは違いました。ピリピリしていても仲が悪いわけじゃない。ただ、インタビューは大変でした……。SMAPとTOKIOまでは、マイペースというか一筋縄ではいかないことが多かった。今となってはいい思い出ですけどね」(鎌田さん)

後輩が台頭してもSMAPは格別

『SMAP×SMAP』の放送開始と、森且行の脱退が重なる平成8年は、SMAPにとって転機となった年だった。「アイドル千日説を覆したのでは?」と話すのは、『JUNON』で約20年にわたり編集を務める今井ひとみさん。

「ブレイクから約3年もたつと、どうしても鮮度は落ちてきます。これまでのアイドルは、グループとしての鮮度が落ちると、ソロとして活動することが定番化していた。ところが、自分たちの冠番組の開始と、森くんの脱退が、彼らを次のステージへと引き上げる起爆剤となった」(今井さん)

 冠番組は、言うなればマザーシップのようなもの。個々の活躍がある中で、全員が集まる場があることで相乗効果が生まれ、ファンも安心する。SMAPが作り上げたロールモデルは、その後デビューするKinKi Kids、V6、嵐らに引き継がれ、今に至るジャニーズの定石として定着した。

「その時期に木村くんを取材したのですが、“今はパチンコでいうと7がそろった状態でフィーバーがかかってきたとき”と話す姿が印象的でした」と鎌田さんが語るように、メンバーの覚悟も並々ならぬものがあったことが想像できる。

 後輩グループが台頭してきても、SMAPは別格だった。'00年代に突入後も、『らいおんハート』(平成12年)が150万枚を超え、『世界に一つだけの花』(平成15年)は250万枚超えといわれるメガヒット。キムタク主演のドラマは、立て続けに最高視聴率30%を超えていた。

「'00年代前半に、人気だった KinKi Kidsのソロ活動が目立つようになり、入れ替わるようにして後半に頭角を現してきたのが嵐でした。彼らは平成19年に初のドーム公演を成功させると、その後モンスターグループに成長していく。一方、嵐に席を譲るわけではなく、さらにグループとして成長し続けるSMAPのすごみも際立っていた」(今井さん)

 30歳を越えてもアイドルとして第一線で活躍する―。SMAPはグループ寿命を延ばす方法を提示するなど、まさに後輩アイドルの道しるべであり変革者として活動し続ける。前出の永田さんは付言する。

「木村くんがナンバーナインやクロムハーツなどを着用することでファッショントレンドの発信者になったり、草なぎくんがビンテージデニムの魅力を伝えたり、同性からも大きな支持を集めるようになる。中居くんは数々の番組でMCを担当するようになりました。こういった男性、女性を問わない発信力は、ほかのジャニーズユニットには見られません」