それはまるで“国葬”のような弔いだった。事務所による発表から連日、マスコミ各社はトップニュースとしてこの訃報を報じた。なかには示し合わせたように出演者がみな“喪服”のように黒い服を着ているテレビ番組までも─。
ジャニー喜多川(本名・喜多川擴)さん、逝去。享年87。
「死因は、解離性脳動脈瘤破裂による、くも膜下出血だそうです。6月18日に自宅で倒れ、緊急搬送されました。ジャニーさんには、かかりつけの大学病院がありましたが、一刻の猶予もなかったため、運ばれたのは救命救急センターがある自宅近くの病院でした」(スポーツ紙記者)
搬送翌日から、ジャニーズ事務所所属のタレントが多くお見舞いに駆けつけた。
「入院中は、ジャニーさんの意識はなかったようですが、ほとんどのタレントがお見舞いに来ました。病室にはマネージャーは入れず、タレントたちだけがベッドで寝ているジャニーさんと対面したようです。
ジャニーさんの大好物で、よく合宿所や練習場に差し入れしていたハンバーガーや牛丼やホタテの貝柱なんかを、今回はタレントたちがジャニーさんのために病室に持ち込んで、ジャニーさんの前で食べていたようです」(芸能プロ関係者)
80代後半となった近年も、ジャニーズJr.の面々のためにお弁当を発注するなど、次なる“スター”の育成に精力的に動いていたジャニーさん。
「“東京オリンピックまでは元気でいたい”と話していて、その後は仕事から退くことも考えていたそうですが、今年に入ってからは特に身体が弱ってきていました。
3月くらいには車椅子を使うことがすごく増えていましたね。それでもたまに公演には足を運んでいました。そういったときはJr.の子などがジャニーさんの車椅子を押していました。最近では髪や肌も真っ白で、頬もかなりこけていましたね」(テレビ局関係者)
自ら育てた“子ども”たちに囲まれた最期。子どもたちを愛し、そして愛された彼の葬儀は─。
「デビュー組やJr.たちが参列した“家族葬”は無事に終わりました。タレントが集まると、ファンも大勢来て大混乱になるので密葬となりました。
亡くなった7月9日の夜には、遺体は病院からタッキーが社長を務める『ジャニーズアイランド』が入っている関連ビルに運ばれました。夜には山下智久さんをはじめ、多くのJr.も集まりました、嵐のメンバーは夜11時ごろまでお台場で収録があり、終わり次第、駆けつけたそうです」(前出・芸能プロ関係者)
彼が愛し、プロデュースしたタレントたちは、本当に多くのファンに愛された。彼なきジャニーズ事務所はどうなってしまうのか。
生前ジャニーさんは雑誌で次のように語っていた。
《ジャニーさんが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネジャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。また、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ》(『AERA』'97年3月24日号)
新たに彼の演出、彼がつくるスターは、もう2度と見ることができなくなってしまった。今はただ、安らかに……。