多くの人が「自分の街には来るな」
それから「金曜集会」を実施したり、米軍基地のフェンスに黒いリボンをつけたり、米軍機飛行を止めようと普天間飛行場の周辺で大きな風船を掲げたりしてきた。そこで訴え続けてきたことが普天間基地の「県外移設」だった。
1998年、沖縄の女性125人が東京都心で「普天間基地の県内移設反対」を訴える“道ジュネー”(デモ)を行った。そのなかでカマドゥーや名護『ジャンヌの会』のメンバーは「普天間基地大安売り」「いまなら振興策がついています」と呼びかけた。
このとき道ジュネーに一般人として参加したのが、東京在住だった沖縄出身の知念ウシさんだ。ライターであるウシさんは『シランフーナーの暴力』('13年)などの著書で「差別する日本」を告発しているが、道ジュネーに参加した当時は「県外移設を」との考えはなかったという。
「当時は、県内でもその道ジュネーはブラックユーモア扱いで“沖縄で嫌と思うものを県外に押しつけるな”との考えが多かった」と振り返る。
実際、ウシさんも、大田昌秀知事(1990~1998年)が提唱した「全国で基地の応分負担」を「そこまで言う?」と疑問を感じていた。
だが、2000年に沖縄に帰郷し、カマドゥーの活動に参加し自ら考えるうちに、少しずつ「県外移設」を意識するようになる。例えば─。
日米安保は日本国民の8割以上が是認、つまり、米軍基地を日本のどこに建設してもいいと認めているのに、実際はその多くが「自分の街には来るな」と思っている現実。「本土」の米軍基地が沖縄に移設された歴史。その結果、過剰負担を強いられる沖縄のいま。そして、「本土」の基地反対の人が描く勝手な幻想。
「沖縄の子どもに向かって“この子も基地問題と闘うんだね”と言うなど、反基地運動こそが正しいウチナーンチュと思い込む人がいます。逆に、沖縄が好きなら基地のひとつでも“本土”に持ち帰ってねと言うと、スルーするんです」(ウシさん)
ウシさんは「いまでは多くの県民に県外移設の考えは浸透している」と語る。その背景のひとつが、大田知事以降の歴代知事もそれを訴えてきたことだ。現職の玉城デニー氏も「基地は本土も平等負担を」と県外移設を訴えている。
実際、「本土」の人間も、
'09年、民主党政権で鳩山由紀夫首相が「普天間飛行場は“最低でも県外”移設」を公約したときに県民がそれに期待し、そして、断念したときの落胆をテレビや新聞で見たことで、県民の県外移設への願いを知ったはずだ。