33歳で発達障害の診断
そして11月、小島さん一家はパースを下見に行き、12月にはビザなどの手続きを始め、クリスマスには家財道具を船便で出し、小島家の「教育移住」計画は実行された。
移住の準備が進むなか、小島さんは医師からの診断により、自分が軽度のADHD(発達障害)であることを知った。
ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)とは、不注意(集中力のなさ)、多動性(落ち着きのなさ)、衝動性(順番待ちができないなど)の3つの特性を中心とした発達障害のことを指す。
医師から診断されたときの最初の気持ちは「もっと早く知りたかった」だったと振り返る。
「自分の“生きづらさ”を長いこと悩み続けていました。だけど、診断によって根性や性格の問題ではなくて、先天性の脳の機能障害によって“普通の子”とは違う特徴があるのだと判明したのです」
ADHDは7歳までに発症し、幼稚園や学校生活のさまざまな場面で確認される。ADHDに関連した症状は短期間でなくならず、学業や友人関係の構築に困難を覚えることがあるといわれている。
小島さんがその年齢のころは、ADHDという概念自体が世間にまったく知られてなかった。
「結果として、それが生きづらさにつながって、摂食障害やら不安障害やらの要因になったのかもしれません」
小島さんは、33歳のときに不安障害を発症しパニック発作と自殺願望に襲われた。そのため長年治療を続けていた。
「最初は、不安障害の治療が目的だったので、カウンセリングも不安障害についてでした。だけど、私がいろんな困りごとがあるんだということを訴えたら、“これは発達障害かもしれないですね”と言われて、最終的に診断に至ったということですね」
例えば会議などで人が話していても、頭の中ではずーっと喋り続けている。油断すると、つい余計なことを口走ってしまう─。そんな困りごとだった。
「以前は、頭蓋骨を開けて脳みそをつかんで放り投げたくなったことがあった。脳みそがずっと頭の中で喋っているから、うるさくてしかたなかったんです」
友達との距離の取り方や、会話がうまくいかなかったのも、唐突な行動に出て顰蹙を買ってしまいがちだったのも、時間配分が苦手だったのも、自分の脳みその特徴の表れだったのだ。
「発達障害のある知人の話を聞いて合点がいったのですが、多くの人がオートマ運転だとしたら、私はマニュアル運転なんですね。ほかの人がパッとわかるものを、私はいちいちギアを入れながら理解していくという感覚」