移住後に見えた「エア離婚」
柔軟でスポンジのように物事を吸収できる子どもと違い、夫の苦労は並大抵のものではなかっただろう。小島さんも、その頑張りを称える。
「夫は、英語ができないところからだったので、大変だったと思います。でも、家事、育児の合間に一生懸命、勉強してずいぶん上手になりました。やはり日常的に触れている人のほうが早い。日常会話なんかは私よりも全然うまくなっています。リスニングもすごいし、学校とのやりとりもメールですから、すごい進化してますね。最近夫は、英語で新しい資格の勉強も始めました。その決断をリスペクトしています」
何より変化を感じるのは、家族の「絆」が深まったこと、と夫は言う。
「子どもの成長に合わせて、家族のチーム感が増したように思いますね。子どもなりに当初は大変なこともあったでしょうが、今はさまざまなバックグラウンドを持つ多くの友達に囲まれて日々過ごしています。親として“君たちすごいね! 尊敬するよ”と素直に思えることは大きな喜びですね」
子どもたちが成人するには、まだ時間がある。チームでありながら、個々が自立した存在であることを小島家は目指しているという。
「この生活の中で、妻が家計を支えるプレッシャーを吐露することはあります。ここ数年で私も再び仕事について考え始められるようになりました。このチーム“家族”でのオーストラリア生活経験を生かして、それぞれが自分の進むべき道を見つけられたらうれしいですね」
前出の友人・高橋さんも、小島家の変化をこう明かす。
「知り合った当初は、子どもたちも手のかかる年齢で、生活面や子どもの進路など相談事も多く、こちらが心配する部分もありました。今では彼らも成長し、家族全員がこの地に足をつけて生活しているように思えます。息子さんたちの『教育』のために移住し、『家族』のベクトルが『教育』一点に向いていたのが、彼らが自分自身で将来を決められる時期に差しかかり、次は親たちが、子育て後の自分たちの将来にベクトルを向けなければならないと思い始めていらっしゃるように感じます」
家族で「課題」を乗り越え、築いてきた信頼関係。だが、高橋さんの言葉どおり、小島さんはもう次のステージに目を向けていた。
「子育てのパートナーとしては最高の夫婦ですが、実は夫と私の間には、長男を出産した後に大きな亀裂が入るような出来事がありました。ずっと蓋をしていたんですが、子どもの手が離れてきたら、やっぱり思い出してつらくなってしまって。数年間話し合いを続けた結果、次男が大学に入るころになったら、1度関係をリセットしようという合意に至りました。
それまでは法的な夫婦関係は変わりませんから、今はいわば“エア離婚”状態です。息子たちも知っています。今はかえって夫のことを冷静に見られるようになりました。いいところもいっぱい再認識できて。やはり結婚していると距離が近くなりすぎて、感情が濃縮されてしまうんですよね。夫婦といえども、他者であると認識することが大事。4年後にどんな答えが出るかはわかりませんが、今は2人ともそれぞれに未来に向かって視界が開けた感じです」
ずっと「生きづらさ」を感じていた時代を乗り越え、ときに母や姉の価値観、世間の価値観に振り回されそうになりながらも、そのたびに自ら大きく舵を切り、わが道を進んできた。これからも「小島慶子の挑戦」は続いていきそうだ。
取材・文/小泉カツミ(こいずみかつみ) ノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』がある