東京・下北沢の街を歩くと、普段はあまり目にしない、ギターや重たいアンプなどの機材をキャリーカートに載せ、ガラガラ引っ張って歩きながらワイワイと楽しそうな若者の集団に度々、出会う。
ここは音楽の街だ。
下北沢といえば「本多劇場」を中心とした演劇の街というイメージが強いが、同時にあちこちにライヴハウスやロック・バー、練習スタジオが並び、1970年代の昔から金子マリやCHAR、ミスチル(Mr.Children)やジュンスカ(JUN SKY WALKER(S))を育み、今しがた目にした未来のスターたちをも育てている。音楽を愛し、奏でる人たちが集う、音楽の街でもあるのだ。
しかし、その音楽の街が3月からずっと、危機に襲われている。
ライヴハウスは“危険な場所”だと吊るし上げられ
ご存知のように、9月19日(土)にスポーツイベントやコンサートなどの開催制限が緩和された。当面、11月末までの新ルールだが、一律でキャパ数が制限されていたものが、クラシックや演劇、舞踊などの「大声での歓声・声援がないことが前提としうる」公演は100%の観客動員が可能になったのだ。
しかし、「大声での歓声・声援が想定される」ロックやポップスのコンサートやスポーツイベントなどは従来どおりの半数以内の観客制限があり、特に2月中旬にクラスターがいち早く発生したライヴハウスは今回も制限が緩和されず、従来どおりの半数以下の観客収容が求められる、厳しい規制がかかったままだ。
ライヴハウスは、2月中旬に大阪の複数店舗でクラスターが発生。まだクラスターなる言葉も耳馴染みなく、全てが不安でわからないコロナ禍初期の中、ライヴハウスは感染リスクの高い“危険な場所”に吊るし上げられてしまった。
「3月に入ってから仲間の店はどこも厳しい状況になりました。なんとか営業しても、まだ自粛警察なんて言葉もなかったころ、お店に直接クレームが入る。緊急事態宣言が出る前から開店休業状態のお店も出てきて、僕自身も最後に主催した3月29日のイベントには、お客さんはほとんど来ませんでした。そこから、この半年間、僕たちライヴハウスはずっと血を流し続けてるんです。どうして今すぐ手術をして血を止めてくれないの? どうして助けてくれないの? そんな感じなんです」
そう話してくれたのは、3月末にいち早く、ライヴハウスやクラブなどの休業に伴う助成金交付を求める署名運動「#SaveOurSpace」を立ち上げた一人で、下北沢のライヴハウス「LIVE HAUS」店長のスガナミユウさん。スガナミさんは自らもミュージシャンでもあり、昨年暮れまで「下北沢THREE」という別のライヴハウスの店長をしていた。そこを退職し、この4月から新しいライヴハウス「LIVE HAUS」をオープンする予定だった。
「まさに、そこにコロナが来てしまいました。オープンは延期に。6月19日にやっとライヴハウスの自粛要請が解けたんですが(東京アラート解除)、じゃ、明日からやりますとはできません。ライヴハウスはアーティストをブッキングし、イベントのテーマを決めて宣伝をして公演を作っていかなくてはならないわけで、実際にオープンできたのは8月1日です」