ジャニーズ事務所を12月末に退所することを発表した、少年隊の錦織一清と植草克秀。東山紀之は事務所に残り、「少年隊」の名前も東山とともに残すことになるという。

「3人はそれぞれの道を歩んでいきますが、亡くなったジャニーさんが命名した名前は、この先も残していきたいと希望したといいます。TOKIOの長瀬智也も来年3月にグループの脱退と退所を発表しており、残る城島茂、松岡昌宏、国分太一の3人は、ジャニーズの関連会社となる『株式会社TOKIO』を設立し、彼らも名前を残す方針です」

 と語るのは、ある芸能関係者。SMAPまでは“解散”というカタチを取ってきたが、少年隊もTOKIOも解散とはいわず、名を残すというカタチで落ち着いた。

 その背景には、ジャニーさんイズムが根付いていると同関係者。TOKIOという名前は、もともとは男闘呼組のグループ名候補のひとつで、メンバーが却下したというのは有名な話。ジャニーさんは、自分が気に入ったネーミングには思い入れが強く、今でも消すことなく、その名は長く受け継がれている。

この10年、止まらぬ退所ラッシュ

光GENJIが平成最初に出したアルバム『Hey! Say!』という表記は、18年の時を経て、Hey! Say! JUMPに引き継がれています。ほかにも'80年代に活躍した忍者の初期のグループ名・少年忍者は、現在そのままジャニーズJr.の人気グループとして再生されました。美 少年の前身グループ名、東京B少年も、かつて存在したジャニーズJr.のグループ、Aぇ少年ありきでのものでした。

 ジャニーさんが生きていたら、少年隊やTOKOの名前も『少年隊Ray! Wa!』とか、『TOKIO 2020』とか、独自の感性による閃きで、次世代を担う新グループにその名を継承することもあったかもしれませんね(笑)」(同関係者)

 名前を残すことは決まっても、少年隊にTOKIOと、ベテランジャニーズの退所が相次ぎ、彼らのグループ活動が見れないのは寂しいところ。

 退所ジャニーズを約10年ほど振り返ると、2010年に元KAT-TUNの赤西仁が退所したあとに'13年の田中聖、'16年の田口淳之介が続いた。そして元Hey! Say! JUMPの森本龍太郎が、'11年の未成年喫煙による無期限謹慎ののち'14年に退所。'16年には、SMAP解散にともない稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人が、'18年には山口達也、そして同年の年末に今井翼と関ジャニ∞の渋谷すばるがそれぞれ退所している。

 '19年7月のジャニー喜多川社長の死去後には、同年9月に錦戸亮、今年3月31日の中居正広、6月19日に手越祐也が退所した。

 退所の理由は、自分が目指す活動のためや不祥事によるものもあった。その後の活躍については、順調な人もいればそうでない人も、さらには逮捕者まで出るなど、さまざまだ。