「相葉さんには荷が重いのでは……?」
昔から天真爛漫だったが、同じ作品で共演した相島一之は相葉の違った顔を見ていた。
「稽古が終わった後にみんなで劇場近くの居酒屋でお酒を飲んだ後、カラオケに行ったのですが、相葉くんは“俺は雑草なんですよ!”と言っていたのが印象に残っています。私が“マーくんはジャニーズでトップアイドルじゃん”と言うと、彼は“ジャニーズの中でも熾烈(しれつ)な競争があるんです。僕たちの代わりなんていくらでもいるんです”と言っていました。“俺は負けない”とも言っていて、ガッツがあるなと感じましたね」
当時の嵐はまだ、今ほどブレイクしていなかった。そんな状況に、“危機感”を抱いていたのかもしれない。そんな彼には意外な弱点が。
「子どもみたいな絵を描いていましたね。演劇では、スタッフが着るTシャツを作ることがあり、『燕のいる駅』でもTシャツを作りました。ツバメのデザインを相葉くんに描いてもらうことにしたのですが、彼の絵は全然ツバメに見えず、トビウオにしか見えませんでした(笑)」(相島)
相葉がお茶の間で広く認知されるようになったのは、‘04年から出演した『志村どうぶつ園』だろう。今では、3月に亡くなった志村けんさんに代わって、彼が番組の中心になっているが、始まったころの彼の評価は高くなかった。
「当時は、山瀬まみさんがアシスタントとして志村さんの横に立ち、相葉さんはMEGUMIさんや坂下千里子さん、モンキッキーさん、山口智充さんたちと一緒にひな壇に座っていました。バラエティー番組の経験が豊富なメンバーが多かったこともあり、彼は全然しゃべれなかったんです。そのため、現場では“相葉さんには荷が重いのでは?”という声もあがっていたそうです」(芸能プロ関係者)
一方で、相葉に期待する声もあった。
「相葉さんをMC席に立たせるために役割をつけることになり、飼育係に任命されました。そのころから志村けんさんが相葉さんを飲みに連れて行き、バラエティーのイロハを叩き込んだそうです。その影響か、『飼育員・相葉雅紀のワケあり動物園修行』では、カンガルーとボクシングをしたり、ライオンのお尻を触るなど、体当たりでロケに取り組むようになり、一躍人気者になったんです」(同・芸能プロ関係者)
彼の成長は、ほかのメンバーにも波及して……。
「相葉さんがバラエティーで頭角を現しているのを見て、ほかの4人のやる気に火がついたんです。“相葉があれだけやってるんだから、俺も頑張らないと……”と思ったのでしょう」(同・芸能プロ関係者)
相葉の努力する姿が、嵐の人気が爆発する起爆剤になったのかもしれない。