オーラを抜きすぎて起きた事件も
現在もキャスターとして活躍する陰には、 師匠からの14年前の“教え”があったようで……。
「僕は戦争をすることに反対で、立場の弱い人の声を聞くことを信念に掲げてきました。櫻井さんもその思いに共感してくれて、戦争に関する取材には積極的に足を運んでくれました。12年間で仕事への姿勢や僕への態度が変わらなかったので、素晴らしいと思いますよ」
'11年に公開された映画『神様のカルテ』では、俳優としてひと回り成長した。
「長野県松本市にある病院に勤務する主人公の医師が、大学病院から誘いを受け、大手と地方の病院での患者の扱いをめぐって葛藤する物語。宮崎あおいさんや要潤さんなど、豪華なメンバーが出演しました」(映画ライター)
監督を務めた深川栄洋氏は、当時の櫻井は芝居に苦手意識を持っていたと話す。
「役の世界にどういうふうに入ればいいか、考えている印象でした。カットが終わるごとに“次はどうすればいいでしょうか”と質問されて僕がアドバイスするという教師と生徒みたいな感じでしたね。彼が演じた役は自分に自信のない役だったのですが、撮影中も週に3回は嵐の仕事があり、戻ってくるとキラキラしたアイドル感が残っていたので、メイクの際に、僕が彼の演じるシーンについて1時間ほど説明して気持ちを切り替えてもらいました。そんなふうに、嵐のオーラを抜くのが恒例でしたね(笑)」
だが、オーラを抜きすぎて、こんな“事件”も。
「街中で彼がトボトボ歩くシーンでギャラリーが400~500人も集まってしまい、警備員を配置して撮影しました。離れたところにカメラを置き、合図を出したら歩くよう指示したのですが、なかなか歩いてこない。事情を聞くと、役に入り込んで歩いていたら、ギャラリーと間違えられて警備員に止められていたみたいで……」(深川氏)
当時、芝居の話だけでなく、嵐のことも話していたという。
「30歳になる直前で、嵐がデビューして12年だったのですが、“やっていることは今までと変わらないけど、周りの人たちの反応が変わってきた。自分たちが認知されてきたのが不思議な感覚”と言っていました。仕事も充実していたのか、“宙に2センチくらい浮いた感覚だ”とも話していましたよ」(深川氏)
“宙に浮いた”5人は巨大な一枚岩となり、快挙を成し遂げていくのであった─。