高校生くらいになるころ、これまでの反動からか私はやや潔癖症のようになり、神経質に掃除機をかけたり風呂やトイレ、キッチンを掃除したり、布団を干したりするようになった。それでも掃除をする人間よりも汚す人間の方が圧倒的に多いので、家の中はいつも汚かった。実家には20年ほど住んでいたが、父や母、兄が布団を洗ったり干したりしているのを一度も見たことがない。だからうちはいつも、人間の脂の臭いと、カビの臭いがしていた。
おまけに、兄は気に入らないことがあるとすぐに大暴れするので、壁にはいくつも穴が空いていて、私と母が使っている部屋のドアは蹴破られてプライバシーも何もない状態で、あらゆる家具家電が破壊されてそのままになっていた。
そんな環境で暮らしていると、だんだん生きる気力が失われ、かといって死ぬきっかけもないので、ただただ今日明日を切り抜けることしか考えられなくなってくる。
だからますます「家をきれいにする」とか「生活に手間をかける」「食事に気を遣う」「適度な運動をする」なんてことは、優先順位の最後の方に追いやられていく。「転職のために勉強をする」みたいに、長期的な視点も持ち合わせていない。未来の自分に投資できるだけの体力も精神力も残されていない。
今日の仕事が終わったら、もう明日の仕事のことしか考えられないのだから。
誰かの力を借りるのは、
「恥」じゃない
「丁寧な暮らし」ができるのは、経済的な不安がなくて、心も身体も健康な人たちくらいだと心底思う。貧困や虐待、DVが行われているなど、劣悪な環境で生きていると、「健康で文化的な最低限度の生活」を実現することすら難しい。健康も、文化的な生活も、まずは心が休まる場所があって、生活に困らないだけの金がなくては成り立たないのだ。
私の場合、成人して実家から逃れて、これまでの働き方を考え直し、うつ病とPTSDの治療を始めて3年か4年ほど経って、ようやく「健康で文化的な生活」を送れるまでになった。無茶な働き方をしていたころ、生活の質はどんどん落ちていき、身だしなみや身の回りのことにまったく気を遣えなかった。虫歯は10年間放置していたし、新しく作り直しにいくのが億劫で、度が合わないメガネを何年も使い続けていた。
人間は、心の状態が落ち着いてからでないと、自分を客観的に見ることも、合理的な判断すらもできないことを知った。
無理に「丁寧な暮らし」をしなくてもいい。でも、もしも「健康で文化的な生活」を送ることができていないなら、まずは今、自分に何が必要なのか、一度立ち止まって考える機会があってもいいかもしれない。時には誰かに話を聞いてもらいながら、客観的に見て自分をどう思うかを尋ねてみながら。
私たちは一人では生きていけない。生活保護など、公助に頼ることを「恥」だと言う人がいるけれど、私はそうは思わない。まずは誰かの力を借りながら、心と身体のケアをすることは、誰にとっても当然必要なことだと思う。
吉川ばんび(よしかわ・ばんび)
'91年、兵庫県神戸市生まれ。自らの体験をもとに、貧困、格差問題、児童福祉やブラック企業など、数多くの社会問題について取材、執筆を行う。『文春オンライン』『東洋経済オンライン』『日刊SPA!』などでコラムも連載中。初の著者『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(扶桑社新書)が話題。