「表現規制」の背景
性差別の問題に詳しい作家の伏見憲明さんは、過剰な表現規制の背景を解説する。
「フェミニストやポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)の声が大きくなった背景には、日本が経済的な繁栄を失いつつある状況が影響していると思います。
パイの実が小さくなれば、平等な分け前を求める政治が前景化してきます。
ジェンダーギャップ指数(世界男女格差指数)において日本は120位と低い位置にあって、当然、改善すべき点は多いわけです。
ただ、これまで女性の社会進出が進まなかった理由は、因循な男社会の問題だけでなく、女性たちも必ずしもそれを望まなかったことにもあると思う。
つまり女性たちの選択もそこに反映しているといえなくもない」
行きすぎた言葉狩りについて伏見さんは「お母さん食堂」の例を挙げる。
「女性に母親の役割だけを求めるのは問題かもしれませんが、別に家事労働や育児が劣った役割だということはありません。
本当に差別のない社会を実現するには、女性がお母さんの役割を担うこと自体を否定するのではなく、それ以外のありようを応援し、多様な生き方を肯定的に表現していくことしかありません。
じゃないと、例えば、映画で専業主婦を描くことも、母として一生をまっとうした女性を小説の主人公にすることも、差別だー! と禁じなければならなくなってしまう。
それに『お母さん食堂』は男性の香取慎吾さんをお母さん役にして、母親っていうのは男が担ってもいい『役割』なんだ、というメッセージまで込めているんだから、まったくもって素晴らしいじゃないですか」
と、伏見さんは「お母さん食堂」を擁護する。
「男女差別がなくなったら女性は社会進出するはずだ、というのも疑わしいところがあってね、企業で活躍したり、政治の世界で力をもったりすることを好まない人だって少なくないんじゃないですか。
女性だけでなく、男性だって。ぼくなんてね、お金があったら、そもそも働きたくないし、家事とかはお手伝いさんを雇ってお願いしたいもの。もし金持ちの家のお嬢様に生まれていれば、子育てだって、昔みたいに乳母にお願いしてしまうかもしれない(笑)。
みんなが社会で働きたいはずだという考えは、エリート男性や勉強が得意な女性たちの感受性が反映された『思想』かもしれないよね」