懺悔の気持ちで園長に

 園長は今も、どうしてあんな凄惨な事件が起きたのか、首を傾げ続けている。

「裁判も傍聴しましたがいまだにその理由がわからない。

 寺院や家庭でのご苦労や悩みもあったのでしょうが、いかなる理由があろうとも、人を殺めた人間に同情の余地はありません」

 園長は当時、大学で教鞭を執っていたが、事件発生を機に幼稚園の仕事に携わり、発生から1年後には副園長に、さらにその2年後には園長になり、現在に至っている。

「自分が保護者の代で起きたことへの、懺悔(ざんげ)の気持ちからでした。事件の翌春、募集をかけなかったにもかかわらず入園してくれた子たちを守らなければという責任感も芽生え、幼稚園が元気になるまで見届けようとここまで来ました」

 美恵子は'01年、一審東京地裁で懲役14年を言い渡され、二審東京高裁で懲役15年が確定した。遺族が起こした民事訴訟では、東京地裁が約6000万円の支払いを美恵子に命じた。

 法廷では終始、自己弁護を繰り返した美恵子。最終陳述ではこう語っていた。

「私ができることは、生きることを許された場所で、心から反省をしながら、償う意味を考えることだと思います」

 美恵子は刑期を満了し、すでに出所している。関係者によると、遺族への謝罪が行われていないどころか、賠償金も支払われていない。彼女にとって「償う」とは何を意味していたのだろうか。

水谷竹秀(みずたに・たけひで)◎ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。