お笑いは一生、手放したくない
2018年の4月から彼女を担当しているマネージャーの牛島理恵さんは、「知れば知るほど深みがあり、周囲に気遣いのできるいい子」と褒める。
「よく努力しているなと感心しますよ。テレビの収録などがあるときは、そこで扱うテーマについて事細かに予習してくるんです。自分が話せる内容をメモにたくさん書いてくる。ほかのタレントに対してもそうですが、私はマネージャーとして、タレントのやりたいことを実現させるのが仕事だと思っています。ぶるまは、自分が何をやりたいか明確にしてくれるので、こちらも全力でがんばろうと思えます」
DVDを出したり本を出したりと、紺野の夢が叶うたびに、牛島さんも自分の夢が叶ったようにうれしくなるのだという。
「ぶるまに文才があるとわかったのも、うれしいことでした。仕事の幅が広がったと思います。今回、2冊目の本が出たとき、ぶるまは著者だから出版社から何冊か本をいただけるのですが、私には、わざわざ書店に行って自分で購入し、サインをしてくれたんです。『牛島さんには自分で買った本を贈りたかった』と言ってくれて。これがぶるまの人間性なんだなと感激しました。しかも2冊とも、本の奥付に私の名前を入れてくれたんです。会社の名前が入るのはわかるけど、私は単なるマネージャー。でも『嫌じゃなかったら名前を載せさせてほしい』と。その気遣いが本当にうれしかったです」
大事な人とはきちんと関係を紡いでいくのが紺野の生き方なのだ。
単独ライブをやったり賞レースの決勝に残ったり、本を出版したりしても、人としての紺野はまったく変わらないと、先輩芸人である「セバスチャン」の原田さんは言う。
「僕だったらもうちょっと調子に乗っちゃうと思うんですが、彼女はいつも申し訳なさそうにしてる。ギャルやってて中退したのはわかっているけど、彼女も僕もワルにはなりきれないタイプなんですよ。自分を防御するために強がっていただけ。ぶるまの本質は謙虚で、でもザ・芸人だと思いますね。最後は絶対に笑ってもらわないと気がすまない。先輩面していたけど、あっさり追い抜かれましたからね。これからもぶるまには頑張ってもらって、何かあったら僕もイベントに呼んでもらいたい(笑)」
兄も「お金や名誉に執着がない」と証言する。
「実は、昔からなんです。子どものころ、お祭りに行ったとき、お小遣いを持ってこなかった友達に自分の小遣いを全部あげちゃったことがあるんですよ。それで本人は淡々としている。わが妹ながら変わったヤツだなと思っていました」
今後も「お笑い」を軸にして活動していきたいと紺野は言う。
「自分が芸人として舞台に立つのももちろんですが、ほかの人にコントを書いたり、ユニットを組んでネタを作ったりもしたい。小説や脚本も書いてみたいですね。お笑いは私にとっていちばん大事なこと。いちばん好きでいちばん長続きしてきたことだから、活動の形は変わっても、一生、手放したくない。そう思っています」
そう言った直後に、紺野は満面の笑顔でこう言った。
「いや、やっぱり大女優を目指したほうがいいですかね。最近、スクリーンが見えるんですよ。アカデミー賞とりたい!」
マネージャーの牛島さんが、
「大丈夫? 誌面に載る前に撤回するのはカッコ悪いよ」と的確にツッコミを入れる。
「え? 言いすぎ? やめとく?」
あわてふためき、急に照れ笑いでごまかす紺野。大胆に「かまして」おきながら、素の謙虚さがにじみ出る。その振り幅の大きさが彼女の魅力でもある。
“腐ったみかん”と揶揄された少女は、10数年かかって熱中できることを見つけた。そしてたくましく自分の道を切り開いている。
(取材・文/亀山早苗)
1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、貧困や格差社会など、幅広くノンフィクションを執筆。歌舞伎、文楽、落語、オペラなど“ナマ”の舞台を愛する