生きるうえで必要なものだけあればいい
闘病中にはうつ症状になり、投げやりな気持ちが強くなっていった。眠れない夜が続いたときにベランダから飛び降りようとしたこと、キッチンのナイフで首を突こうとしたなど自殺未遂も赤裸々に明かしている。
「すべて事実。隠すつもりもないです。そういうときを支えてくれたのは宝塚時代を含めた友人たちです。ほかのことは思いつかないくらい支えてもらいました」
仕事を再開した60代になってからも65歳で心臓弁膜症を患い、68歳のときには腎臓がんの手術を受けた。
「身体と相談しながら無理しないように病気と付き合っています。難病はいつからとか、何がきっかけでよくなるということはなく、医学が進歩しているなかで薄紙をはがすように段々よくなっていく感じで、今に至っています」
闘病中には“断捨離”を敢行した。
「それも薬の副作用があったかもしれませんが、面倒くさくなって何もかもいらなくなっちゃいました。自分が生きるうえで必要なものだけがあればいいと思うようになって処分しました」
洋服や舞台用アクセサリーは友人や後輩たちに譲り、高価なミンクのコートはリサイクルショップに二束三文で売り払った。ワードローブには、30年間愛用するGAPのチノパンをはじめ着回しのきくベーシックカラーのアイテムだけを残した。
「必要な物の中からとっかえひっかえして着ています。毎日、違う格好をする必要もないですし、そもそも人は(他人の服装を)そんなに見ていませんよ。毎日、下着はかえますが気づいたら3日ぐらい同じコーディネートのまま出かけていくこともあります。
たくさん持っていると悩みは増幅されるので、少なければ悩みません。
宝塚時代は若かったので、あれもこれも着たいと思っていましたが、遊びに行くことはほとんどなくて稽古場と家の往復だったので、デニムにシャツやTシャツを合わせるのが定番スタイル。ときどきみんなで食事する程度なので、かしこまった服装をすることも少なかったです。水玉、縞模様以外の柄物は着ません。ステージできらびやかな衣装を着ていた反動があったかもしれませんね」
30年間同じチノパンをはき続けられ、体形が変わっていないことにも驚く。
「私の身体にぴったりで気に入っています。体形は年齢を重ねて肉のつき方は変わりました。でも下半身だけは男の子っぽい体形なのか変わらないですね(笑)」
●ライフワークの歌とストレス解消法
「新しい歌を覚えたいという欲求ぐらいで歌以外にやりたいとこは何もありません。ストレス解消法は掃除と片づけ。無心になれて忘れちゃいます」