「これで仕事を辞めたい」
最後に会ったのは5年ほど前だったそう。
「『眠狂四郎 The Final』というドラマで、これで仕事を辞めたいと言っていました。でも、最後に話をしたのは昨年の2月で“コロナが落ち着いたら、ご飯食べよう”と言っており、声も元気そうだった。まさか、その2か月後に亡くなるなんて、本人も思っていなかったはずですよ」
それでも田村さんは死を予見していたのか、その発表を遅らせたのは、本人の遺言だったと明かしてくれた。
「そう奥さんがおっしゃっていましたから。亡くなったときに、私にすら連絡はなかったんです。四十九日が終わった5月18日に連絡があって、急きょ、私が発表したんです」
長年の苦楽を共にしたマネージャーにも死を知らせないという徹底した管理。生前は仕事でロケに行ったときなど、外に姿を現すことを避けていたのは有名な話だ。
「外食はせず、食事は個室。付き人が食べ物を運んでいました。私と、時々部屋で食べるくらいでしたよ。打ち上げも個室でした」
晩年は軽井沢に移住しようとしていたという話についても聞いてみると、
「確かに、軽井沢には毎年、夏になると行っており、そっちに住むという話もあったと思います。でも、軽井沢はあくまでも別荘という感覚だったのでは。正和さんは、やっぱり成城にいたかったんじゃないでしょうか」
軽井沢での生活より、住み慣れた成城で最期を迎えることを選んだ田村さん。今、その成城の家は妻が守り、本人は自らデザインした墓所で安らかに眠っている。