役人、若者にも立ち向かう覚悟
大塩さんは相手が役人だろうが、屈強な若者だろうが物おじせず、間違っていると思ったらケンカも辞さない。
「いいかげんにしなさい!」
市の福祉課の窓口で入所者の若い男性を怒鳴りつけたこともある。生活保護の申請に大塩さんも同行したのだが、当の本人の態度があまりにも悪く、周囲の人たちが凍りつくほどの勢いで叱った。
そんな大塩さんの性格は昔から変わらないと話すのは夫の眞二さん(78)だ。
「ストレートでサバサバしているし、おべんちゃらは言わないし。僕は変わった人が好きやったからね(笑)」
母1人子1人で育った大塩さんは、大阪で母が経営する割烹を手伝っているとき、会社員の眞二さんと出会った。29歳で結婚し、母を連れて夫の住む高松へ。姑、姑の母、母とみんなで一緒に暮らしたが、文化の違いからもめ事が絶えず、離婚寸前に……。
離婚するメリット、デメリットをすべて書き出して冷静に考え、離婚はしないと結論を出した。その経験は、今の活動でも何かを判断する際、役に立っていると振り返る。
ひとり息子が中学生になり、ひどく荒れた時期もある。小刀を向けられたときは、こう開き直った。
「自分が育てた子どもに殺されるんだったらいいよ。あんたの好きにしなさい」
お酒を飲むのが大好きな大塩さん。酔って転んで硬膜下血腫になったが生還。それがきっかけでホームレス支援団体の手伝いを始めた。今から18年前のことだ。
「保険会社に3年、証券会社に8年勤めて、自分の給料全部遊びに使うてたんです(笑)。せっかく命を助けていただいたし、ちょっとは誰かの役に立つことをしようと、心を入れ替えたの(笑)」
バブル崩壊後の景気低迷で高松にもホームレスがたくさんいた。リベラルな考えの眞二さんも誘い、夜回りをして弁当を配ったりした。
ホームレスの中には刑務所から出てきたばかりの人も多くいる。一緒に保護観察所に出入りしているうちに、「自立準備ホームという制度ができるので、やりませんか」と声をかけられ、始めたのが「止まり木」だ。NPO法人設立の事務作業は眞二さんがやってくれた。