流血とともにGETTAMANが誕生
トライアスロンで有名になっていたサトシには、いろんな依頼の話が来るようになっていた。その中に『ホノルルマラソンツアー』があった。毎年12月の第2日曜日にハワイ・ホノルルで行われるマラソン大会に出場する初心者の運動指導をやってくれというのだ。何百人の素人のランナーとハワイに行きサポートするものだった。
その時のプレイベント「アロハ駅伝」のパーティーの席上で現地の主催者に、「せっかくハワイに来ているのだからおまえも走れ!」とリクエストされた。
そして当日の朝、主催者は大きな段ボールを抱えてやってきた。見ると中身は羽織袴(はかま)でぎっしり。そして高下駄まで入っている。
すぐに高下駄をホテルの通路で履いてみた。高下駄ではどうしても体重が前のめりになる。走りにくいどころか、ストレッチもままならない。
「これはダメだと思ったんで、一応スタートラインには立つけど、すぐリタイアしようと思ったんですね。こんな馬鹿げたことできないと」
花火が上がり、ホノルルマラソンがスタートした。
そして驚いた。
「私がカランコロンと走り出したら、モーゼの十戒の海みたいにみんなが私が走るところを開けてくれるんですよ。でもね、走ってると、鼻緒が食い込んできて指の股から血が滲(にじ)んできてダイヤモンドヘッドを上がるころには白い骨が見えだしたんです」
このとき、自身のアスリート人生がこれで終わるかも、と思ったという。
「なんとか我慢しようと思い、走っている一般の人たちに“ハイ!メリークリスマス”“ハイ!グッジョブ!”などとみんなに声をかけた、痛さを我慢するために。で、ゴールしたら担架で運ばれて点滴打ってという感じでした」
そして翌年12月のホノルル空港で驚くべき対面をする。それは、空港の壁に貼られた大きなポスターに写る羽織袴で笑っている自分だった。
タイトルは「GETTAMAN」、そしてサブタイトルは「GETTAMANに逢えると幸せが訪れる」──。
これがGETTAMAN誕生の瞬間だった。
「それからもう引くに引けなくなって、このスタイルで25年間やっているんですね。みんなが私の周りに寄ってきて、最後まで盛り上げてゴールまで誘(いざな)う、というのが恒例になってお祭りになったんです」
ゴールしたGETTAMANの周りには、「ユー・アー・グレートガイ!」などと言って多くのランナーが写真を撮りにくるのも恒例である。
「本当に欲や見栄、地位とかお金などをすべて手放して、人間の美しい姿がそこに見えました。“ああ、これか!俺がやるべき健康のことってここにすべて詰まっているんだな”と思いました。それからホノルルは私のライフワークになったんですね」
ハワイ在住でハワイの邦人向け生活情報誌『Lighthouse Hawaii』の編集長・大澤陽子さん(52)は、6年ほど前からGETTAMANに誌面づくりを協力してもらっている。
「毎年、ホノルルマラソンに合わせてGETTAMANさんと特集を組んでいます。GETTAMANさんのストレッチの記事の切り抜きを会社の壁に貼ってくださる人もいるんですよ。彼は取材をしている時、スタッフに“あれ?あなた腰が悪いんじゃないの?”と気遣ったりするんです。本当に誰もが健康になってほしいという思いでいっぱいなんですね」