森永さんの訴えや主張がSNSで批判も
森永さんは「戦争反対」「核兵器にも絶対反対」と訴え続けてきた。テレビなどでそう主張すると、SNSで批判を集めることも少なくない。
「私がいちばん叩かれたのが、“ならず者が日本に攻めてきたらどうするんだ?”と問われて“僕は竹槍で戦います”と答えたとき。ネットで“森永が真っ先に死ね”と書かれて、ワーッと拡散された」
何も武器がなければ竹槍で戦い、マシンガンがあればそれで戦う。ただし、「相手の国から攻撃を受けたら」というのが前提。それが森永さんの真意だという。
「つまり“専守防衛”ということ。だから私のイメージにいちばん近いのはウクライナなんです」
ひとたび戦争が起きると経済は大きな打撃を受け、庶民の暮らしほど壊滅的になる。だから、非戦の誓いを破る憲法改正には反対。暮らしを壊し庶民を苦しめる不平等な経済政策にも反対。それが森永さんの持論だ。
「経済の仕事をするようになって、富裕層と付き合うようになったんです。それで彼らが病気だと気がついた。
例えば、1億円あれば遊んで暮らせるといいますよね。ところが富裕層の人たちは100億円も持っているのに、200億、さらに倍と欲しがる。これは一種の病気です。その最も重い病にかかっているのが世界一の大富豪のイーロン・マスク。私は、こいつらと戦わなきゃいけないと思った。ずっと戦っているんだけどまったく勝てない(笑)」
そう話しつつ、森永さんはどこか楽しそうだ。
「彼らも金もうけだけじゃなくて、ミニカーを集めたり畑を耕したりして楽しんだら、考えも変わるだろうにね」
多忙を極める中、経済アナリストに
社会人になってからも「好きなことを追求しよう」と決意していた森永さん。都立高校から東京大学を経て、日本専売公社(現在のJT)に入社。2年後には日本経済研究センターに出向し、その後、経済企画庁総合計画局にも出向した。
「日経センターでも、経済企画庁でも同じような仕事をしていました。“会社に仕事を決められるのは嫌だ”と思っていたから、好きなことをしよう、とわりと早くから決めていましたね」
1990年代からはメディアにも登場し始め、「経済アナリスト」という肩書を使うようになる。テレビ朝日系『ニュースステーション』をはじめ多くの番組に出演、著作も多数著すように。
「就職してから30年以上、年間6000時間くらい働いていたんですよ。いちばんひどかったときは、1日2時間睡眠の22時間労働で、年間1日も休みなし。そんな生活を10年くらい続けていました」
シンクタンクに勤めながら、多くのテレビ番組に出るようになった2000年ごろは、最も多忙を極めた。
「当時、テレビやラジオのレギュラーが16本、雑誌の連載は37本も抱えていました。毎日、原稿の締め切りや取材を10本はこなしていた。自宅に帰るには帰っているけれど、ちょっと寝て、また出ていく感じでしたね」
妻の弘子さん(63)はこう話す。
「月曜の朝から金曜の夜まで帰ってこないうえ、土日も仕事という日々が何十年も続いていました。
それがここ数年、コロナで毎日、それも四六時中家にいるようになってストレスでしたね(笑)。ただ、最近は畑と博物館に行くことも増えたので、少し楽かな」