目次
Page 1
ー 顔色を変えず、ラーメン27杯、ステーキ5.6キロ
Page 2
ー どんぶりご飯でハングリーに育つ
Page 3
ー 苦手なことから逃げてはいけない
Page 4
ー 息子の異変、夫のモラハラ
Page 5
ー 大食いは「自分との戦い」
Page 6
ー パン屋になっても励みは数字

 大食いタレントとして知られる菅原初代さんが、3月9日深夜に亡くなっていたことが、菅原さんのTwitterで報告された。

 菅原さんは昨年6月に大腸がんが見つかり、 医師から「ステージ4」と診断されていた。闘病のため、自宅に開いたパン店も閉店していた。

《大病を得て人生の残りが見えてきたいま、 集めてきた作品にいるべき場所をつくってやりたいと思いました》

 と、先月には地元・岩手県盛岡市で菅原初代コレクション展 『願わくば、手のひらいっぱいの』を開催。これが最後の公の場となってしまった。

『週刊女性』では菅原さんのパン店で密着取材。波瀾万丈な人生について語ってくれたインタビューを再録する。

(年齢は掲載当時のママ、『週刊女性』2018年3月20日号掲載) 

         ◆   ◆   ◆

「いらっしゃいませー」

 ドアを開けてお客が入ってくると、レジの後ろに立つ菅原初代さん(54)はすかさず声をかける。3坪ほどのこぢんまりとした店内には、菅原さんが早朝から焼き上げたパンが並ぶ。店名にもなっている『カンパーニュ』という自家製天然酵母のパン、山型食パン、ライ麦パン、ベーグルなど10数種類がずらり。

 店があるのは、JR盛岡駅から3km近く離れた閑静な住宅街だが、「菅原さんのお店はどこだろう」と探して買いに来る人も結構いる。

「テレビでずっと見ていたけど、こんなに細い人なんだぁ。顔がちっちゃーい」

 2人連れの女性客に声をかけられると、菅原さんは照れたように笑った。

「どこがですか? 腰痛がひどくなってきたから、ダイエットしないと」

 実は菅原さん、全国にその名を知られた大食いの女王だ。テレビ東京系『元祖!大食い王決定戦』に出演。ギャル曽根などライバルたちを寄せつけず、2008年、’09年、’10年と3連覇して殿堂入りした。

顔色を変えず、ラーメン27杯、ステーキ5.6キロ

 何を出されても顔色を変えず、ラーメン27杯、ステーキ5.6キロなど、黙々と食べ続ける姿は強烈だった。

 あまりの強さに、“魔女”と称された菅原さん。どんな思いで大食いに取り組んできたのか聞くと、意外な答えが返ってきた。

「大食いって、数字に置き換えられるから好きなんです。例えば、最初の5分に10杯食べると、次の5分ではその半分になり、最後の5分はさらに半分になる。逆に考えると、最初の5分にこれだけ食べれば勝てるとか、予測できる。その読みが当たるとうれしいですね」

 ゆっくりした口調で、淡々と言葉をつなぐ。試合でも冷静さを失わないのが、菅原さんの強みだ。

「いくら胃袋を物理的に大きくしても、誰もが大食いになれるわけじゃない。大食いって、精神的な部分が大きいんですよ。私は常にハングリーななかで育っているから、ぜいたくに育った今どきの人たちは、何年かかっても私には勝てないですよ。ハハハハ。育ちが違うから。全然、いばれないけどね(笑)

2009年、『元祖!大食い王決定戦』収録の合間に。真ん中が菅原さん
2009年、『元祖!大食い王決定戦』収録の合間に。真ん中が菅原さん

 大食い女王に輝いた2008年、菅原さんは夫と別居の末に離婚している。当時6歳だったひとり息子の慶君(15)はADHD(注意欠如・多動性障害)という発達障害で、ほかの子に乱暴する、迷子になるなどトラブルを引き起こしてばかりだった。

 そんな苦労をみじんも感じさせず、圧倒的な実力で勝ち続けた菅原さん。

「強いんですね」

 思わず漏らすと、菅原さんは即座に否定した。

「いや、弱いです。ちょっとしたことで、すぐに傷つくし、必要以上にへこむし。“私には絶対イヤなことを言わないで”と書いたプラカードを持っていたいくらい(笑)」

 ていねいな受け答えに、まじめな人柄がにじむ。

 いったい、どんな半生を経て、魔女と呼ばれるまでになったのか──。