主治医も取り合わず「親の愚痴を言うな」
医師ですら認知症という病気を理解できていなかった昭和の時代。安藤さんが病院で母の状態を話すも「病院は親の愚痴を言う場所ではない」と取り合ってもらえず、友達のおすぎとピーコからも「お母さんの悪口を言うんじゃないわよ!」とたしなめられる。気持ちの置きどころがなくなった安藤さんは、やがて母の人間性を否定するようになった。
「家族の箸の上げ下ろしにもうるさかった母が、お赤飯を手づかみで食べるのを見たときは『この嘘つき、二重人格!』と悲しくなりました。憎しみが募り、母の首に手をかける夢を見たことも」
母が70代になり、病院で脳の検査をすると、脳腫瘍が見つかる。大きさはテニスボール大にもなり、20年以上も前にできていたことが判明。それまでの母の行動は脳腫瘍が原因の老人性うつ病と認知症によるものだともわかった。
「医師から『よくここまで一緒に住んでいましたね』と言われて、初めて気持ちをわかってもらえた、と思いました」
母の脳腫瘍は明日死んでもおかしくない状態。医師からも「明日起きてきたら神様からのプレゼントだと思って」と言われた。その言葉に、安藤さんの気持ちも「母に幸せな時間を過ごしてもらいたい」という前向きなものへと変化した。
「食べることが大好きな母に喜んでもらいたくて、料理もたくさん作りました。朝の『おはようございます』のあいさつも、今日も生きていてくれてよかったという気持ちを込めて。そのころ、母はすごく短気でイラッとするとテレビのリモコンなどを叩きつけていたんですが、私たち家族の愛情が伝わったのか、母も穏やかになっていきました」
最期は家族が見守る中で、母を見送ることができた。
「脳腫瘍によるむくみも、亡くなったら腫れが引いて見事な美人に。それを見て、思い残すことなく旅立ったんだと実感できました」
安藤さんは最期まで在宅介護をしていたが、「無理なことは人に任せたほうがいい」と言う。