「今は同じセットでライティングを変えるくらいですよね。でもあのころはセットも豪華で、1人のアーティストにつきワンセット造られ、曲が変わるごとにセットチェンジしてました。ただ私は、TUBEさんのセットの椰子の木を使い回したことはあったけど(笑)

ジェンダーのジの字もない時代

 当時はイメージ戦略も徹底していた。彼女に強いられたのが“大人の夜の女”のイメージ。それは彼女自身とは正反対のタイプであり、キャラクター像は完璧に創作された。

「素が出てしまうので、まずしゃべったらダメだと言われました。取材でも極力話さず、“そうですね”と言うだけ。夜の女性だから日焼けは禁止。好きなお酒はオシャレなカクテルで、間違っても焼酎ですと言ってはいけないと。かまぼこが好物だけど、それも絶対に言っちゃダメ。居酒屋によく行くなんてとんでもない(笑)。今だったらたぶんSNSですぐバレてしまうけど」

 SNSがない分、取材合戦は熾烈だった。写真週刊誌が花盛りのころで、石井自身ターゲットになったこともある。

「垣根の奥で張り込んでいて、パシャッとシャッターの音がするんです。びっくりしましたね。いつからそこにいたんだろうと……。自分がターゲットになるなんて思っていなかったから、あまり気をつけてもいませんでした。一応恋愛禁止でした。でも撮られちゃったから別れましたけど

『CHA−CHA−CHA』に次いでのヒット曲が『ランバダ』。当時はレコードに代わってCDが出始めたころで、『ランバダ』もカセットとコンパクトCDの2種類販売している。

『ランバダ』で注目されたのが、セクシーなダンスと衣装。今となってはタブーも多そうだが、

「『ランバダ』にしてもそうだけど、私はあまり布の面積が大きい服を着せてもらえなくて(笑)。ジェンダーのジの字もない時代だったから、女性であること自体を武器にしてしまえという感じ。中身がおじさんなので、見た目ぐらいはということでしょう」

 と笑い飛ばす。今なお過去のヒット曲を歌う機会は多いが、そこでひとつ困ることがあるという。