レギュラー番組10本超の絶頂期からの転落

千葉県いすみ市の市議会議員でもある長男の雄太さんとツーショット
千葉県いすみ市の市議会議員でもある長男の雄太さんとツーショット
【写真】「幼い頃は美少年だった」家族と撮ったせんだみつおの子ども時代

 過熱する人気に、ハメを外したこともあった。赤坂プリンスホテルのプールサイドで山本リンダの新曲発表会の司会を任されたときのこと。

「プレスリーのまねをして、マフラーの代わりにトイレットペーパーを首に巻いて“イエーイ!”って歌っていたら、レコード会社の人が激怒しちゃって。1時間くらいお説教されました」 

 その帰り道。赤坂見附の駅まで泣きながら歩いていると、ポンポンと肩を叩かれた。

「“キミ、さっき司会していた人でしょ?”って言って、僕の連絡先を尋ねるんです。次の日、電話が来ましてね。『金曜10時!うわさのチャンネル!!』の出演依頼でした」

 肩を叩いたのは日本テレビのプロデューサー。せんだのハメを外したパフォーマンスは、イベントの主催者にとっては噴飯物だったが、観客には大ウケだった。全国ネットの『金曜10時!うわさのチャンネル!!』で共演者の和田アキ子にど突かれ、覆面レスラーのザ・デストロイヤーに4の字固めをかけられて悶絶するせんだのユニークなキャラクターは、日本中に知れ渡った。人気にも拍車がかかり、レギュラー番組は10本を超えた。

「もう破竹の勢いでした」

 と言うせんだの言葉は、決して誇張ではない。せんだの人気と知名度は芸能界の外にも及ぶ。一日警察署長を務めたこともあった。選挙になれば、毎回のように候補者から応援演説を頼まれた。

'77年に公開された映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で主人公の両津を演じた
'77年に公開された映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で主人公の両津を演じた

「自分の時代はいつまでも続くと思っていましたよ。だけど、芸能界はそんなに甘くはなかった。僕の黄金期は7年で終わりました」

 '78(昭和53)年12月。ロケ先で食べた牡蠣にあたって入院。同じものを食べた番組のスタッフは軽い症状で済んだが、ハードスケジュールを不眠不休でこなしていたせんだの身体は悲鳴を上げた。医師の診断は過労を伴う肝炎。何より休養を要すると忠告され、せんだは仕事をすべてキャンセルして体調の回復に努めた。入院は4か月に及んだ。退院すると、“笑い”が変わっていた。

「横文字のMANZAIブームが起こり始めていて、僕みたいにアクションで笑わせるのではなく、しゃべりで笑わせる人たちが主流になってきた。笑いが新旧交代の時期を迎えていたんです」

 入院前の忙しさがウソだったように、せんだの出番は減っていった。唯一のレギュラー番組はフジテレビ系の『アイ・アイゲーム』。

「番組に僕を呼んでくれた山城新伍さんは言いましたよ。“黄金期からいきなり氷河期になってマンモスも途絶えたのに、せんだとゴキブリは生き残る”って(笑)。だから芸能界のゾンビのように、今日までしぶとく生きてきたわけです」