タレントから役者として新たな道を模索
お笑いの潮流からは外れた。しかし、氷河期の間に評価を受けたせんだの一面がある。“役者”としての才能である。
'81(昭和56)年、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』では豊臣秀吉の妹・あさひを娶った副田甚兵衛役を好演。そして、'84(昭和59)年にNHKで放送された『新・夢千代日記』(全10話)では中国残留孤児の王永春役で迫真の演技を見せ、俳優として大絶賛された。
「やりがいはありましたし、反響のすごさには自分でもビックリしました。実はね、世志凡太さんの付き人になったとき、最初の巡業でフランキー堺さんと一緒だったんです。僕が“コメディーをやりたいんです”と言ったら、フランキー堺さんはこうアドバイスしてくれました。“コメディーをやりながらシリアスをやりなさい”と」
笑わせるだけじゃダメだ─その意識が常にせんだの心の中にあった。その後もせんだは、NHKの大河ドラマ─『春の波涛』('85年)、『春日局』('89年)、『花の乱』('94年)、『毛利元就』('97年)や、連続テレビ小説─『心はいつもラムネ色』('84年)、『おんなは度胸』('92年)、『だんだん』('08年)に出演。シリアスな芝居ができるせんだの演技力を知る人は多く、芸能界にはせんだのアドバイスに助けられたと話す後輩たちもいる。
現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』で藤原穆子役を演じる石野真子もその一人。歌番組で前出の菅原と共演したことがきっかけでせんだとの交遊が始まった石野は、'20(令和2)年にドラマ『恋はつづくよどこまでも』(TBS系)でせんだと共演した。
「せんださんは私の父親役だったんですけれども、あのときはコロナ禍で、撮影現場ではほとんどおしゃべりができなかったんですよ。でも、せんださんがアイコンタクトで私を引っ張ってくれて、本当に違和感なく親子の雰囲気を出せたように思います。
昨年、大河ドラマの出演が決まったときは、私が“ドキドキするわ”って話したら、せんださんがメールをくださって、激励のメッセージだけじゃなく、演技の役に立つかもしれないよって、平安時代の資料を教えてくれたんです。せんださんって、そういう心遣いがいつもさりげなく、優しい方なのです」(石野)
前出の夏木は、こう話していた。
「せんださんの今の地位って、おかしいですよ。もっと表に出てきてもいい人なのに」
せんだの話題をメディアが取り上げなくなった出来事が、実は過去にはいくつかあった。その一つが、'85(昭和60)年6月6日の朝日新聞に載っている。
《引退後の生活まで乱す権利はどこに(東京都/せんだ・みつお テレビタレント 37歳)》
'80年10月に引退した歌手の山口百恵さんを、マスコミは執拗に追いかけた。“私人”となった一人の女性のプライバシーを報じるワイドショーや雑誌の姿勢を、せんだは「えげつない」と断じ、新聞の投書欄に送った。学生時代にジャーナリストに憧れたこともあるせんだの正義感は強い。朋友である湯原は言う。
「せんだにはね、180度違う顔がありますよ。まじめに物事を考え、世の中の不正に怒ったり、政治に不満を抱いたり。非常にグローバルな視線を持っている男ですよ。ただ、それは芸能人として表現しなくてもいいことでね」
表現しなくてもいい憤りを、せんだは新聞に投書した。それは、マスコミを敵に回す行為ともいえた。その代償が一部の芸能記者による“無視”を招いたといってもいいかもしれない。長い氷河期の裏には、そんな出来事もあった。