3人が出会わなかった“未来”とは

 50年─。楽しそうに軽口を言い合う3人は本当に仲がいい。

 もしこの出会いがなければ、3人はどんな人生を歩んでいたのだろう?

高見沢「出会ってなかったら、音楽やってたの坂崎だけだったんじゃないかな。たぶん僕は教職課程取ってたんで父親や母親と同じ、学校の先生やってたと思うなあ」

坂崎「すごい先生だよね、その格好でやってたら(笑)」

高見沢「これでやるわけないだろ!(笑)」

桜井「いやあ、潜在的なものがあるから、文化祭とかで花開いちゃって(笑)」

坂崎「ツェッペリンとかやっちゃって。そっからとか(笑)」

高見沢「そうだね。高校時代に戻っちゃう感じかも。グラムロックとか大好きだったから。桜井は何やってたかなぁ」

桜井「会社勤めじゃないな。商売やってたかな。本当になりたいものが、あったわけでもないし」

坂崎「わかった。左官屋さんだ」

桜井「それは、俺が(左官屋に)下宿してただけだよ。下宿してたら“運転手が来ないんで桜井くんお願いだから”って職人乗っけて現場に行っただけ(笑)。左官屋、大変だよ、修業に10年はかかるから」

高見沢「いやいや、あるんじゃないの?(笑)」

桜井「じゃあ、左官屋さんで(笑)」

坂崎「僕は売れないミュージシャンで終わって、スナックですかね」

高見沢「酒も飲めないのに、なんでスナックやれるんだよ(笑)」

坂崎「じゃあ、フォーク喫茶。もしくは熱帯魚屋ですね」

 長く続けられた理由は「ぬるま湯」だと高見沢は言う。高見沢「ちょうどいい温度、でも努力しないとちょうどよくならないんですよ」

坂崎「放っといたら冷めるしね。温めなきゃいけない」

高見沢「熱かったら冷まさなきゃいけない。そのへんは調整してますけどね。まあ、いい意味での“ぬるま湯”の関係というのは続いていると思いますけどね」

 50周年を迎えて、今後の目標はあるのだろうか。

高見沢「とりあえず3000本が目標。4500本を超えている、さだ(まさし)さんみたいなレジェンドとは比べものにならないけどね(笑)」

坂崎「目標を持たないアルフィーだけど、そこだけはね」

 8月には“50年目の夏祭り”として夏のイベントも控えている。新曲を引っさげてのイベントになるが、

高見沢「両A面のシングル、ギターはいいけど、桜井、あの複雑なベース弾きながらは無理だもんな。ライブ用にちょっと(演奏を)間引きしないと歌えないよな」

桜井「本当にキツいけどね……、でも頑張りますよ」

高見沢「まあ、一応時給が出るからな(笑)」

坂崎「歩合じゃなかったっけ?(笑)」

桜井「俺、50年もやっていていまだに派遣だのバイトだのって言われるの、おかしいでしょ(笑)」

坂崎「でもステージでこういうギャグ言うと、本気にする人がいるんだよね。“へえー、桜井さんて派遣だったんだ”とか(爆笑)」

 アルフィーとしてデビューして以来、解散どころか1人も欠けることなく、日本の音楽シーンを駆け抜けてきた。そして今日も出会ったときのまま、ステージに立つ3人がいる。高見沢、坂崎、桜井が巡り合った偶然は“運命”ではなく“宿命”だったのだろう─。

<取材・文/小泉カツミ>

こいずみ・かつみ ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけ、著名人インタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほか著書多数。